書評キャンパス―大学生がススメる本― 青木希実 / 日本大学芸術学部文芸学科3年週刊読書人2022年7月8日号 年年歳歳著 者:ファン・ジョンウン出版社:河出書房新社ISBN13:978-4-309-20848-0 著者はこの作品が家族の物語として読まれることを心配している。ページをめくって真っ先に目に入ってくるのがこの物語における登場人物の家系図であるのに、だ。筆者はこの物語を最後まで読んだとき、著者の心配の本当の理由について気づくことができた。 この作品は主人公のイ・スンイルという女性とその二人の娘ハン・ヨンジンとハン・セジンを中心とした連作小説集である。そして、朝鮮戦争によって人生の選択肢を奪われてしまった女性たちの物語だということもできる。朝鮮戦争によって中学校にも行けなかったイ・スンイルは女中として働く際に「順子」と呼ばれていた。そして彼女は、自分と同じように家族のために働き「順子」と呼ばれている女の子と出会う(「無名」)。 作中には「山」が何度も登場する。イ・スンイルが祖父の墓参りをするところから物語は始まる。その道中でイ・スンイルは次女であるハン・セジンに「もうそろそろ帰ってきて、家のことを引き継ぐ準備をしないと」と言う。私には私の生活があるというハン・セジンにイ・スンイルはさらに畳みかける。「結婚もしないで、何が生活なのさ」と。 その一方でイ・スンイルの夫であるハン・ジュンオンは、長男であるハン・マンスに相続できる山を持っていることを誇りに思っている。この山はイ・スンイルの亡くなった父のものであったが、彼の死後に持ち主不在の山として申告され、国家財産になるところを取り戻すことができた。しかし長男はニュージーランドで学生生活を送っており、韓国に戻ってくる気はないらしい。その山に不動産価値などなければなおさらだ。 こんなエピソードもある。イ・スンイルは親戚一同で出かけた済州島で膝の状態が悪いために火山の丘に登りたいけれど、うろうろするばかりだった。その様子を見ていた義理の息子であるキム・ウォンサンはイ・スンイルを軽々と背負ってしまう。「うちのお母さんはほんとに小さいな」と娘のハン・ヨンジンは驚きを隠すことができない。 父から長男へと相続される土地としての山。祖先が眠っている場所としての山。年老いた女性が若い男性の手助けなしでは登ることのできない山。山というモチーフは家族という共同体を維持していくために不可欠な家父長制と直結している。 家父長制において個人としての生き方は、家族という大きな概念の中に飲み込まれてしまう。飲み込まれることを避けられない登場人物たちは、お互いの過去の出来事について口に出すということをしない。けれども彼女たちは作中で最後までフルネームで呼ばれ続ける。そのことは「誰かの娘」であり、「誰かの母」と語られることから距離を取ることと無関係ではないだろう。 読者であるわたしたちは、家族の間で語られることのなかったものに触れることができる。そこでは母や娘といったくくりの中で揺らぐ彼女たちを発見するだろう。けれどもそのゆらぎは読者であるわたしたちのゆらぎと共鳴する。だからこそ著者のメッセージである「私たちは私たちの人生を、ここで」という言葉が私たちの人生を照らしてくれるだろう。(斎藤真理子訳) ★あおき・のぞみ=日本大学芸術学部文芸学科3年。日本文学を学び、創作活動をしています。図書館の席は毎回同じところに座るタイプ。