〝戦後〟とこれからを振り返るきっかけに ちゃんへん. / ジャグリングパフォーマー週刊読書人2022年7月8日号 ウトロ ここで生き、ここで死ぬ著 者:中村一成出版社:三一書房ISBN13:978-4-380-22003-6 読書は好きでよくする方だが、まさか初めての書評のお仕事が本書『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』とは……。 というのも、ウトロ地区に生まれ幼少期を過ごし、ウトロを出た後も何度も訪問をしている出身者の僕にとっては、今回の依頼に対してどうしてもプレッシャーに感じてしまっていたことは正直言って否めない。 しかし、読み進めるうちに著者のウトロに対するただならぬ愛と情熱を感じ取ることができ、読み終えた後は著者への感謝の意も込めて、ぜひとも書きたいという気持ちに落ち着いた。 さて本書は、京都府宇治市に所在を置く在日韓国・朝鮮人が多く住むウトロ地区の約一〇〇年の歴史と、その歴史に翻弄されつつも、一生懸命に生きた一世二世を中心とした人々の葛藤や闘い、喜怒哀楽の生き様が生々しく記されている。 日本の併合による朝鮮半島統治。京都飛行場建設の重労働と飯場の劣悪さ。終戦・解放後の差別と貧困。冷戦下における米軍との友好と対立。官憲からの幾度の弾圧。町を襲う水災害。歴史性を完全に無視された土地問題による長い裁判と敗訴。土地買取の未来への希望とヘイトクライム。そして、様々な問題が長期化しすぎた故の人々との別れと、未来への展望を期待できるウトロ平和祈念館。 ウトロに二〇年も通って聞き取りを行ったという著者。いったいどれだけ多くの人の証言を聞いたのだろうか。出身者として痛いほど分かるのだが、外から来た人間に対して簡単に心を開いてくれるほど甘くはなかっただろうと想像する。 本書に出てくる「マイノリティが『お上品』に生きられるほど、ウトロを取り巻く日本社会は優しくない」という一文を読んで、お互いの心に土足で上がり込み心通わすまで、何度も何度も通い、誠意を持って彼彼女らの言葉を聞き集めてくれたのだなと思ったからだ。 韓国併合によって土地などを失った多くの朝鮮人は、職を求めて宗主国である日本に渡るが、過酷な労務動員からなるべく逃れるため、より条件の良い職を求めて行き着いた場所の一つが京都の軍事飛行場建設だった。実際には六畳の土間のみの小屋に押し込まれるような形であり、苛烈な労働に酷使されるのだが、それでも生きるために働き続けた。想像するにも想像に及ばないということだけは分かる。 日本の敗戦は朝鮮人にとっては解放・自由を意味したが、本書におけるウトロの朝鮮人にとっては失業と同時にこの先の貧困を意味していた。職を失った朝鮮人は、時に米軍の演習所に忍び込んで鉄屑を拾い集めては、それを売っては食い繫ぎ、時には日本人の残飯を拾ってきては、腐っていないものを取り除き、やはり食い繫いだ。 僕が生まれたのは一九八五年。一世や二世がしてきた苦労や屈辱は体験をしていないはずなのに、なぜか涙が出るほどよく分かった。きっと家の中はもちろん、地域全体で数えきれないほど語られていた体験談を、耳では聞いていなくても、心ではしっかり聞いていたのだろうな。 本書には度々「ご飯食べた?」というような言葉が出てくる。僕の幼少期の記憶でも挨拶がわりに「ご飯食べたか?」から始まり「お腹空いてない」と言っても「今食べなもうないでー」が一世の決まり文句だった。 本書を読んで改めて思わされたが、貧困、食糧難にとことん苦しめられた彼彼女らにとっては、食というのはトラウマであり、子供たちには同じ苦労を絶対にさせたくないという想いが「ご飯食べた?」という口癖・名残なんだろう。僕はそう思う。 さて、ウトロの問題で最も上る話題といえば、本書でも重点的に触れられている「土地問題」だ。日本にはウトロ以外にも朝鮮人集落が存在するが、この京都のウトロが取り分け話題に上がるのは、私有地という点だ。土地問題は歴史性を無視されており、本書にも出てくる「不法占拠」や「ごね得」と言われ、ヘイトクライムの格好の的にもなっている。 これは出身者としての僕からの願いでもあるのだが、本書を読んで頂き、日本の歴史、特に加害の歴史について振り返ってみてほしいと思う。 再開発が進むウトロは、日本の戦後の姿を今でも少しは感じることができる場所だと思う。今一度立ち止まり、できることであれば共に日本の戦後とこれからを振り返るきっかけとなってほしい。そして、朝鮮半島が〝戦後〟を迎えられるように共に考え、共に闘いたいと思う。 最後に、本書に登場するウトロ最後の一世、姜景南さんとのエピソードを綴りたいと思う。ウトロに一期棟が経ち、しばらくしてから様子を見に行った時のこと、姜景南さんが散歩をしているところに遭遇し、少し立ち話をした後に「新しい家見にくるか?」と家に招待してもらったのだ。家に入るなり、彼女はギリギリ聞こえるくらいの声で寂しそうに言った。「やっぱり前の家の方がええな……」と。 僕はハッとさせられた。やはり自分の人生と共に歩んだ家の方が彼女にとっては幸せなんだろう。僕は確信した、「この人は自分の家で死にたいんだな」と。結果的には彼女は自宅で最期を迎えるのだが、色々と考えさせられた。 ウトロの土地問題、早期に解決をしていれば多くの一世は家で死ぬことはできなかったかもしれないし、かといって長引いてよかったとも言えない。最初からみんなが歴史性に関心を寄せ、姜景南さんのような一世二世の人たちが、「ずっとウトロで生きていいんだ」と安心して過ごすことができていたらと思うと胸が締め付けられる。 だからこそ、姜景南さんのように小さな声でしか言えなかった言葉を、より多くの人がしっかりと聞くことができる環境作りが必要だと思った。ウトロは、歴史や住民の生き様を知り、それを教訓として胸に刻み、前を向いてより良い社会を目指すための生きたモデルになるのではないだろうか。(ちゃんへん・=ジャグリングパフォーマー) ★なかむら・いるそん=ジャーナリスト。著書に『ルポ 思想としての朝鮮籍』『映画でみる移民/難民/レイシズム』など。一九六九年生。