幻想的でちょっぴり恐ろしい短編集 太田明日香 / ライター 週刊読書人2022年7月15日号 化物園 著 者:恒川光太郎 出版社:中央公論新社 ISBN13:978-4-12-005536-2 民話的なモチーフに彩られたファンタジー小説や、外国やさまざまな時代を舞台にした幻想的なホラー小説で知られる恒川光太郎の最新短編集『化物園』。ここには、これまでウェブサイトや文芸誌で発表された、幻想的でちょっぴり恐ろしい七つの物語が納められている。それぞれのタイトルには「猫どろぼう猫」、「窮鼠の旅」、「十字路の蛇」、「風のない夕暮れ、狐たちと」、「胡乱の山犬」、「日陰の鳥」と、動物が冠されている。だが、七話目だけが「音楽の子供たち」で、動物ではなく人間だ。 七編のうち、最初の五編は連作のようになっている。現代から江戸時代までさまざまな時代を舞台に、嫉妬やちょっとした軽口、高望みなど「業」や「欲」によって人生の歯車が狂ってゆく人物たちの姿が描かれている。 「猫どろぼう猫」の上田羽矢子は、浄水器の訪問販売の仕事に就いていた。あるとき、開けっぱなしになっている家から無造作に置かれていた一万円札を衝動的に盗んでしまう。それをきっかけに、空き巣に目覚める。相手は「貧乏人から搾取しているいけすかない金持ち」に決まっているから盗んでいいと自己弁護し、ためらいなく盗みを繰り返すようになる。「窮鼠の旅」の久間王司は、有名私立大学を卒業したものの、プライドが高すぎて就職活動を先延ばしにするうち引きこもりになり、四十代になってしまった人物。ある日、父が倒れてそのままこときれているのを発見したが、自分も死んでやるつもりだからと、葬儀もせずに遺体を放置したままにしている。 かれらを見ていると、傲慢になった人間ほど怖いものはないと思う。しかし、一見善悪を超越したようにうそぶいてはいても、自分のしていることに対するうしろめたさを隠しきれないのも人間の性だ。〝化物〟はそんなうしろめたさに吸い寄せられるかのように姿を現す。羽矢子は「ケシヨウ」と呼ばれる猫の化物を追う老人に襲われ、王司には亡くなったはずの家族たちが談笑する声が聞こえるようになり、かれらの身勝手な世界観には亀裂が入る。化物は神仏への祈りを忘れ、「因果応報」や「罰が当たる」という言葉を信じずに傲慢になってしまった人間に、警告を与えているようにも見える。 一方、後半の二編に共通するのは、愚かさも含めて人間を愛おしむ視点だ。異形の子どもたちが聖人としてあがめられる十五世紀のチャンパ王国の僧院を描いた「日陰の鳥」。不思議な能力を持つ風媧という生き物が司る場所で、外界と隔絶されて音楽の英才教育を受ける子供たちを描いた「音楽の子供たち」。二編はともに神聖なるものや荘厳なるものについて描いているが、世界観は全く異なる。 「日陰の鳥」では、南国の蒸し蒸しした気候やさまざまな国の人が入り乱れる港の賑やかさや、それとは対照的な異形の子どもたちが集められた寺院の静謐さなど、読み応えのある描写が魅力的だ。「音楽の子供たち」では、「術理はなに?」と聞くと開く箱によって必要なものを与えられる異世界を舞台に、乳母によって育てられた一二人の子供達の群像劇が繰り広げられる。どちらも存在しないはずの世界にもかかわらず、登場人物たちの息遣いがリアルに感じられ、ぐんぐん物語の世界に引き込まれてゆく。 前半の物語では、人間の汚らしさにうんざりしたり、恐ろしくなったりする。ところが、後半の神聖なるものの視点から眺めるうちに、そんな人間のことを愛おしくも思えてくるから不思議だ。それでもやはり、底知れない恐ろしさを持っているのは人間だ。七つの異なる物語に存分に浸るうち、読み終えたあとには〝人間〟に対する見方が広がっていく一冊である。(おおた・あすか=ライター)★つねかわ・こうたろう=作家。著書に 『夜市』『草祭』『金色機械』『滅びの園』など。一九七三年生。