「数理モデル」を用いた検討と提案 鎌原勇太 / 横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授・民主主義理論・政治学方法論 週刊読書人2022年7月15日号 民主主義を数理で擁護する 認識的デモクラシー論のモデル分析の方法 著 者:坂井亮太 出版社:勁草書房 ISBN13:978-4-326-30311-3 限られた予算のなかで、防衛費と福祉のどちらを優先すべきか。このような政治的な争点に対して、どのような意思決定の方法で正しい(または望ましい)決定が下せるのか。独裁者が一人で決めるのか、少数の者で決めるのか、一般の多数の人々が決めるのか。はたまた、知識を有する専門家が決めるのか。このような問いは、政治学の研究対象として紀元前から現在まで続く。本書は、意思決定の方法としての民主主義(デモクラシー)が望ましいことを示し、あるべき民主主義の方法を提案する労作である。 本書の問いは、序章にも示されている次の一般的な問いに端的に表れている――「政治的決定を担うべきなのは、政治家か、専門家か、素人の市民か、あるいはそれらの混合体か」(一頁)。本書は、「素人による決定と専門家による決定では、どちらが認識的に優れるのか」(三頁)という問いに答えようとする「認識的デモクラシー論」の立場から、認識的に正しい選択を導く意思決定方法としての民主主義を探求する。ここでいう「認識的に正しい」とは、個々人の立場からの正しさというよりも、そういった個々の立場から離れ客観的に正しいことを指す。そのうえで、探求の方法として「数理モデル」が使われる。数理モデルとは、「現象とその要因との関係性を、数式で記述したもの」(二八頁)である。「正しい決定の方法は何かという規範的な問いに対して、数学を使うのか⁉」と驚く読者もいるかもしれないが、民主主義の数理的な検討は古くから行われてきた。最も有名なものが、一八世紀の数学者コンドルセによる「陪審定理」である。彼は、ある条件下では、多数の素人の判断が一人の専門家の判断に勝るという直感に反する定理を数学的に証明した(この条件を実現することは、現実にはほぼ不可能なのだが)。 特に、近年注目されている数理モデルが、「多様性が能力に勝る定理」(DTA)である。これは、端的に言えば、多様な立場や意見、考え方をもつ素人集団による決定の方が、同数の専門家による決定よりも認識的に優れているという定理である(二〇八-二一一頁)。 これまでの研究の多くは、一つの数理モデルを用いて、素人対専門家という問いへの解答を試みる。ただし、それぞれの数理モデルには一長一短があったり、前提条件が異なったりするため、それぞれの数理モデルの結論が一致しなかったり、時には矛盾したりする。これに対し、本書の立場は非常に面白い。医学分野等で用いられる方法を応用し、収集した複数の数理モデルに共通する頑健な部分を特定し採用する「複数モデルの活用」=「多重モデルによる理想化」(第三章)+「ロバストネス分析」(第四・五章)という手法を提案する。 本書では、DTAに属する数理モデルに関してこの手法を用いることで、多数の素人が専門家に常に勝るのではなく、決定を下さなければならない問題の予測可能性に応じて、関わる人々の構成を変えるべきであることが示される。つまり、金融政策といった技術的に予測可能な問題は専門家による判断が望ましい一方で、宝くじのような誰にもその結果が予測できないような問題は誰も専門家になりえないので、素人による判断が望ましい。しかし、現実の政治はこの間に位置すると考えられるので、専門家と素人による混合体による判断が認識的に正しい可能性が高いということである(一三一、一九四-一九六頁)。 また、本書では、多様な立場を有する人々の意見を集約する新たな方法を提案する。日常的に実施する多数決は、各個人の最終的な結論を数え上げ、最も多い選択肢を集団としての結論とする。一方で、各個人が最終的な結論を導くためには、いくつかの評価項目について判断がなされる。例えば、旅行先を家族で決める際には、費用が安く景色が良いといった評価項目の組み合わせにもとづいて、各人は行きたい旅行先を決める。そこで、この評価項目ごとに多数決を行った結果、費用が安く景色が良いという組み合わせから旅行先をAとする結論を集団として下すという方法も考えられる。 本書は、この後者の意見集約の方法において、評価項目ごとの多数決での各人の棄権を許容する。ある評価項目について専門的な知識を有しているが、別の評価項目についてはそうではない個人が、後者の項目での判断を棄権することが許容される。この方法の画期的な点は、素人と専門家の混合体となっている点である。ある政治的な課題に関する専門的な評価項目に対し、専門家は判断が可能だが、そうではない素人はその判断を棄権できる。その一方で、先の評価項目では専門家であった人が、別の項目では専門外であることから棄権できる。このような事態は現実社会でよく見られる。例えば、ワイドショーでは、ある分野の専門家に対して専門外の課題に関する意見を求めることが多い。しかし、彼(女)らは、専門外の課題に関してはただの素人にすぎない。つまり、ある評価項目の専門家は別の評価項目では素人であり、「素人の中に専門家がいるかもしれない」(一八三頁)ことを明示的に組み込める意見集約の方法なのである。 ただし、民主主義を考えるうえで示唆に富む本書であるが、専門外の読者には少し理解しにくい部分があったため、本書評では評者が具体例を追加した。安全保障や感染症という課題において、強い指導者の待望や専門家への敬意なき批判が見られる今日、民主主義を考える機会を素人である我々に与えるためには、著者によるよりわかりやすい一般向けの著書が必要だろう。(かまはら・ゆうた=横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授・民主主義理論・政治学方法論)★さかい・りょうた=中央学院大学法学部専任講師・政治学・政治理論・公共政策学。論文に「認識的デモクラシー論の内的妥当性と外的妥当性 科学哲学におけるモデリング理論を手掛かりに」(『政治思想研究』)など。一九八三年生。