二人を対照して、まるごと捉えようとした一書 石井正己 / 東京学芸大学教授/日本文学・民俗学 週刊読書人2022年7月15日号 谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して 著 者:前田速夫 出版社:冨山房インターナショナル ISBN13:978-4-86600-107-4 優れた兄弟ということで言えば、誰もが古今東西の何組かを思い浮かべることができるだろう。兄弟の専門分野には、かなり距離がある場合もあれば、適度な距離で相並ぶ場合もある。本書は、民俗学者・歌人の谷川健一(一九二一~二〇一三)と詩人・評論家の谷川雁(一九二三~九五)の兄弟を取り上げる。これは後者と言ってよかろう。 長命だった健一は、全集を残し、『妣の国への旅―私の履歴書―』(日本経済新聞出版社、二〇〇九年)で、自伝・自作を語っている。それに比べて、短命だった雁は、作品集はあるものの、松本輝夫『谷川雁―永久工作者の言霊―』(平凡社、二〇一四年)で、やっとその実践と闘争が論じられるようになった。 こうして見るだけでも、二人の評価には大きな違いが見られる。それぞれに心酔する人々も別々で、これまで交渉はなかった。著者は、「兄弟の仕事と思想のベクトルは異なっているが、私たちのすぐ前の時代を生きて、精神の空洞化に抗し、失われた共同性の回復に取り組んだことで共通する」と見る。なんと言っても本書の眼目は、この二人を対照して、まるごと捉えようとした点にある。 二人は熊本県水俣の出身だった。熊本県人の先例として徳冨蘇峰・蘆花の兄弟をあげ、渡辺京二の指摘する熊本県人の二面性はこの兄弟にもよくあてはまると指摘する。確かに、健一は宗教的、雁は政治的だという違いはあるが、徹底的に突き詰めずにいられないものの、その対極を見通すことができるという資質はよく似ている。 だが、二人の人生にはやはり一定の距離がある。健一は平凡社で『風土記日本』『日本残酷物語』を刊行し、退職後は民俗学の道に進んで、沖縄と古代史の調査・研究を進める。一方、雁は三池闘争・安保闘争の挫折を経て、テックで外国語教育を行い、離職後は宮沢賢治作品の立体化に取り組む。確かに接点は希薄だが、戦後の知識人の視野から欠落した民衆への視点があるとした。この指摘もよく納得される。 その一方で、例えば、雁は一九五九年、トカラ列島の臥蛇島に渡っている。闘争の渦中であったことを思えば、南島は筑豊炭鉱の延長上にあったにちがいない。この旅は健一が一〇年後に沖縄に行く契機になったということは十分に想像される。だが、雁が「そこで死ぬ」という契約を土地と交わしたと述べた島民は、一九七〇年に移住し、臥蛇島は無人島になる。本書がそのことに展開していないのは物足りない。そうした思いを抱くのはこの点に限らない。 短絡的な言い方になってしまうが、本書は最後の戦中派と呼んでいい二人がたどった軌跡を美化して、牧歌的に語ってはいないか。二人が抱いた構想や思想を受け継ぐには、「垂直の次元での思考をとりいれながら、それをどう水平の次元で実現していくか」にしかないと結ぶ。だが、今、私たちの毎日は災害・感染症・戦争で混迷を極めている。そうした精神の空洞化に抗するにはその点まで述べる必要があると思うのだが、それはないものねだりだろうか。(いしい・まさみ=東京学芸大学教授/日本文学・民俗学)★まえだ・はやお=民俗研究者。東京大学卒業後、新潮社入社。一九九五~二〇〇三年まで文芸誌『新潮』編集長を務める。著書に『異界歴程』『白の民俗学へ』『海を渡った白山信仰』『北の白山信仰』など。一九四四年生。