日本戦後文学史はこうして書き足されて 青木耕平 / 日本学術振興会特別研究員PD・アメリカ文学 週刊読書人2022年7月22日号 翻訳を産む文学、文学を産む翻訳 藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち 著 者:邵丹 出版社:松柏社 ISBN13:978-4-7754-0284-9 優れた着眼点を持った本である。そのセンスの良さは、まずもって『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』という書籍タイトルに現れている。「翻訳を産む文学」だけならば、わたしたちは本書を手に取ることはないだろう。偉大な古典や文化的に価値が高いと見做された作品、ひいてはマーケットの成功を勝ち取った商品まで、およそ「文学」は多くの言語の「翻訳」版を産み出してきたし、今も産み出しつづけている。海外文学作品に親しい読者にとって、これは常識にすぎない。だが本書は、それに続いて「文学を産む翻訳」という言葉を併置する。「文学を産む翻訳」ときいてまず頭に浮かぶのは、十九世紀末の文明開化以降の日本近代文学だ。森鷗外はドイツに留学しゲーテやリルケを訳し、二葉亭四迷はロシアに赴任しツルゲーネフやトルストイを訳し、夏目漱石は英国に学んで多くの文学を日本に紹介し、彼らはみな小説家として西洋文学の知見を自らの創作実践に取り込み、日本近代文学の礎を作った。芥川龍之介と太宰治は翻訳されたドストエフスキー作品を読み、文学史に残る傑作を著した。日本近代文学は西洋文学を範としつつ発展した、つまり「翻訳」が日本近代「文学」を産み出してきたのだ──。文学史に多少の知見がある者ならば、これに異論を唱えるものはあまりいないだろう。 しかし、終戦とアメリカによる占領を経た、戦後の日本文学にとって翻訳とはなんだったのだろうか。戦後日本文学とアメリカとの関係については優れた著作がすでにあり、個別具体な作家や作品についてならば仔細に影響関係を明らかにした論考は多い。しかし、近代以降の文学と翻訳の影響関係そのものを、大きな視座から捉えて論じるものは未だ多くない。本書はまさに、そのような戦後日本文学史の空隙の一つを埋める。 論じられる主な時代は一九七〇年代で、本書における「翻訳」とはアメリカ小説の文芸翻訳である。その分析に際し着目されるものこそが本書サブタイトル「藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち」であるが、ここにすでに仕掛けがある。誰もが名を知り、戦後日本文学における「翻訳」そして「アメリカ文学」の影響を見てとれる村上春樹の名よりも先に、藤本和子の名が置かれているのだ。そうして実際、第三章「ひとりの訳者、複数の作者──藤本和子の翻訳」に、本書全体の三分の一が割かれている。 一九七五年、藤本はリチャード・ブローティガンの代表作『アメリカの鱒釣り』を翻訳刊行し、その見事な文体によって広く知られるようになった。原書ではなくまず藤本の翻訳によってブローティガンを読み大きな影響を受けたという村上春樹の告白や、藤本の文体が当時のシーンに大きな影響を与えたとする高橋源一郎の指摘が引用されているように、藤本はまさに「文学を産む翻訳」の実践者である。本書がユニークであるのは、後続への影響の検討だけに留まらず、藤本の「翻訳を産んだ文学」が何であったのかを明らかにせんとするところにある。アメリカまで足を運びインタビューを行い、藤本のルーツに黒人たちの豊穣な抵抗の文学が、フェミニズム運動が、森崎和江と石牟礼道子の一九六〇年代の著作があったことを明らかにしたうえで、このような作家・翻訳者たちが脇に追いやられてきた文学史の語りそのものを本書は問い直す。続く第四章ではカート・ヴォネガットとその翻訳者たちに分析の焦点をあて、「純文学」ではない「ジャンル小説」として傍流に追いやられたSF小説とその翻訳が、いかに日本の文学シーンに貢献したのかを明らかにする。最新の世界文学論の知見と緻密な実際の翻訳研究を行ったうえで既存の文学史の再検討を迫る、それが本書の魅力であり学術的貢献である。 ただ、首を傾げる箇所も少なくはない。一世代前の著名社会学者の時代区分やスター批評家たちの時代診断を無批判に受け入れてしまうのは、学術書としていかがなものか。また、ポピュラリティーがあったにせよ、庄司薫やビートルズの特定の作品に時代全体を代表させてしまう論の進め方にも疑問が残る。そしてなにより、先行研究の教科書的な整理に紙幅を割くならば、せめてもう一章ケース・スタディーが欲しかった。ただ、このような瑕疵を補ってあまりある魅力が本書にはある。同年代の文学研究者として評者は多大な刺激を本書より受けた。これを端緒として刺激的な文学研究が続々と産み出されるのではないか、そんな期待を本書は産んだ。(あおき・こうへい=日本学術振興会特別研究員PD・アメリカ文学)★しょう・たん=東京外国語大学専任講師・翻訳研究・世界文学論・ジェンダー研究。共著に佐藤=ロスベアグ・ナナ編『翻訳と文学』など。一九八五年生。