――追悼 梅原猛―― 磯前順一 / 国際日本文化研究センター教授・宗教学 週刊読書人2022年7月22日号 梅原猛と仏教の思想 著 者:菅原潤 出版社:法藏館 ISBN13:978-4-8318-5570-1 著者の菅原潤は、東北大学大学院文学研究科で博士号を修得した哲学者である。ドイツ哲学の素養を背景に、京都学派論を独自の立場から展開してきた。なかでも、『上山春平と新京都学派の哲学』(2019年)は、梅原と親交のあった、やはり京都大学哲学科出身の上山春平を論じた点で、姉妹編の関係にあるものとして注目される。 さて、本書は七つの章から構成される。「序章仏教思想としての梅原猛を読む」で、梅原を仏教思想の観点から「哲学者」としてどのように評価するのかが、本書の主題であることが提示される。「第一章 闇から笑いへ――哲学修業時代」、「第二章 仏教の思想――上山春平との共同研究」、「第三章 古代史から人類哲学へ――独自路線の模索」、「第四章 「日本学派」の思想――国際日本文化研究センターの人脈」、「第五章 空海から法然へ――仏教研究の転換」において、西洋哲学から仏教研究へ、そして人類哲学、さらには日本学派の形成という風に、梅原の思想の展開が把握された。 梅原の哲学研究に対する学問的評価はこれまで本格的なものは皆無に近かったと言える。それは梅原の研究が、本書の著者が的確に指摘するように、大学などのアカデミズムを主対象としたものではなく、広汎な市井の知的読者層を基盤として成り立つものであったからである。こうした非アカデミズムに支えられた研究活動であるがゆえに、一般読者における令名は高いのにもかかわらず、アカデミズムでの評価が低い。より正確に言えば、その高下を問わず、本格的な評価の対象になりえなかった事態を招いてきた。 それゆえ、著者の問いは、果たして梅原の仏教研究は「哲学」足り得るものなのかというところに帰結する。そして、その結論は、ギリシア哲学の田中美知太郎が評するところの「文芸作品」の域を出ないというものであった。良くも悪くも反アカデミズムとしてのアマチュアリズムは、梅原が創設にかかわった日文研の学問傾向にも、総体としては今も当てはまるものだろう。 本書の「終章 顕密体制論と神仏融合――近年の研究との比較」もまた、法然をはじめとする鎌倉新仏教を思想的に重視する梅原に対する、黒田俊雄の顕密体制論を通した批判である。黒田の説くところは、中世の日本において鎌倉新仏教はあくまで異端的な存在にとどまり、天台宗や真言宗などの顕密仏教のほうが社会の大勢を占めていたという今日の通説となっている見解である。 それに対して、梅原の仏教理解が、当時の宗教状況を理解するうえで的外れであると著者は批判する。しかし、梅原の議論はあくまで思想の深さを把握するものであり、社会制度化された時代的趨勢を論じるためのものではなかった。むしろ、梅原が法然以外に注目していた仏教者としては、江戸時代の勧進僧、円空、および彼が彫った仏像であった。いわゆる円空仏の微笑みが大衆の日常生活に根ざしたものであり、その悲しみを笑い飛ばすものとして梅原は深く愛してやまなかった。学問的な知識の現代性の観点から梅原のアマチュアリズムを論じるよりも、現在の彼の読者たちと同じように市井の大衆への眼差しにこそ、梅原が大きく心をときめかせていた事実に着目すべきであったと評者は考えている。 以下、日文研に禄をはむものとして、あくまで私見ではあるが、梅原以降の日文研の抱える課題を示しておきたい。そこにみられる非アカデミズム的な姿勢は、学界内の矮小な問題設定を否定する点で有意義だが、自分の立脚点をひとつひとつ吟味する反省を欠落させる危険も伴う。さらに、日文研の学問としての傾向を挙げるならば、その創設された時期のバブル経済期の雰囲気を反映した反マルクス主義としてのナショナリズムを掲げることができる。著者は梅原を「反ナショナリズム」の立場にたつとするが、「反国家主義」的なナショナリストと正しくは理解すべきであろう。 ここでいうナショナリズムとは、同じナショナリティに属する者は融即的な相互理解を生来的に有し、その生得的な特質こそが自文化理解の直接性を保証するという信念である。近代日本における反欧米主義のもとから、日本のナショナリズムが生じてきたところは理解しやすいところである。その点において、ナショナリズムは自意識において自己を理解する立場であり、他者の視点のもとに自己を捉える視点が欠落している。残念ながら、本書の議論には、こうした地政学的な観点から日本文化論を捉える視点が抜け落ちているように思われる。 日文研の抱える政治的特質、当事者が必ずしも自覚しているとは言えないその特質とは、すでに1961年に日本史研究会で、ともに京大教授であった桑原武夫と井上清を軸とする討論、そして1990年代後半の国民国家論者の西川長夫や酒井直樹によって問題とされてきたところのものである。日本史研究会では、梅原と並ぶ日文研の創設者であった桑原の近代主義への転向をマルクス主義の歴史学者たちが厳しく批判した。近代主義とはアメリカを頂点とする資本主義社会を近代的進化の目的とする価値観である。 他方、国民国家論とは、日本のナショナリズム的な自意識がむしろ敗戦を契機とするアメリカによる植民地主義から出てきたものであることを明らかにした。酒井や西川にすれば、1961年のマルクス主義者と桑原ら近代主義者の対立も、同じ国民国家を自明のアイデンティティとするナショナリストという点では何ら変わらない立場ということになる。だとすれば、ともに2019年に日文研で行われた評者と呉座勇一との文献学をめぐる議論、評者と井上章一との間で論じられたマルクス主義歴史学への批判は、もはや1961年の議論のパロディーでしかなかったのである。 ナショナリストでありながら、アメリカ的な価値観を志向する捻じれ。そして、顧みられることのないアジアからの眼差し。こうした主体の複雑さは、日文研から梅原へと遡るアマチュアリズムの負的側面のように感じる。とすれば、日文研の関係者が梅原に寄せた希望がどのようなものであったのか。その自意識を分析するためにも、評者の論文「梅原猛の見た夢――日本研究の国際化とは何か」を含む、日文研関係者による『梅原猛先生追悼集』(2020年)が分析対象に据えられなかったのは残念なことであった。次回作に期待したい。(いそまえ・じゅんいち=国際日本文化研究センター教授・宗教学)★すがわら・じゅん=日本大学教授・哲学・倫理学。東北大学大学院博士課程単位取得退学。著書に『シェリング哲学の逆説』など。一九六三年生。