書評キャンパス―大学生がススメる本― 中島大和 / 明治学院大学文学部英文科3年 週刊読書人2022年7月29日号 マルタの鷹 著 者:ダシール・ハメット 出版社:早川書房 ISBN13:978-4-15-077307-6 シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、明智小五郎、エラリイ・クイーンなど頭脳明晰な名探偵は枚挙にいとまがない。名探偵たちは天才的な推理力をもって謎を解明していく。その謎解きの鮮やかさ、見事な論理に魅了される読者も多いことだろう。そういった謎解きを重要視するものを本格派推理小説、パズルストーリーなどと呼び、ミステリの一形式として広く浸透している。 その本格派に対してハードボイルド派と呼ばれるジャンルがある。ハードボイルド派の探偵たちは二十世紀初頭のアメリカで隆盛だったパルプマガジンから生まれ、ホームズやポアロ型の探偵像と双璧をなす存在として一世を風靡した。だが、ハードボイルドという言葉が、グミの商品名やテレビ番組名としてなど、様々な所で使われている今では、そこから連想されるものも様々であろう。 それはともかく、ダシール・ハメットによる『マルタの鷹』はハードボイルドの聖典というべき作品だ。サンフランシスコの私立探偵サム・スペードは若い女から駆け落ちした妹を連れ戻してほしいとの依頼を受ける。スペードの相棒アーチャーがその仕事を引き受けるも、何者かに射殺されてしまう。さらに駆け落ち相手とされる男も殺されていることが判明する。刑事から依頼人や事件についての情報提供を求められたスペードは「しゃべるかしゃべらないかはおれの勝手だ」と切り返し、「おれはおれの流儀でとことんやる」と宣言するのであった。単純な失踪人調査で幕を開けた事件は、殺人事件へと発展し、やがてスペイン皇帝への貢ぎ物であった黄金の鷹像をめぐる争いへと変貌していく。金と欲にまみれた人々と対峙する中でスペードがとった行動とは――。 スペードにはホームズのような天才的な推理力はない。こつこつと足を使い、身をもって困難を乗り越えていく。己に課した厳しいコードに従って、混沌とした狂気の時代を生きているのである。事実、ピンカートン探偵社のオプ(探偵)としての経験を持つハメットはスペードの探偵像について、同僚の探偵たちの多くがかくありたいと願った夢想の男であり、ホームズ風に謎を博識ぶって解こうとはせず、いかなる状況でも打ち勝つことのできるハードな策士でありたいと望む男である、と序文で語っている。物事の善悪が明瞭ではない社会にあっては、探偵は謎を解くだけでは終われない。事件を通して様々な困難が降りかかる中で、自らの生き方を貫いていこうとする。ハードボイルド小説とはその頑なな生き方を描く物語であると考える。 さらに特筆したいのが、『マルタの鷹』の表現スタイルだ。物語は三人称で語られるのだが、その際に内面描写を避け客観描写に徹しているのである。地の文での直接的な感情表現を排し、会話、登場人物の表情やしぐさといった外面描写のみで一つの長編を著したのだ。サム・スペードという探偵の造形とその独創性溢れる表現技法。これこそが、探偵小説という枠を超えて、『マルタの鷹』が不朽の名作となった由縁である。(小鷹信光訳)★なかじま・やまと=明治学院大学文学部英文科3年。積読本の山が高くなる毎日ですが、書評や創作など書くことにも意欲的なこの頃です。ここ何年かで古いミステリ誌などの蒐集をはじめ、神保町散策が楽しみとなっています。