美術史研究を越える探求の足掛かりとなる画期的な仕事 水沢勉 / 神奈川県立近代美術館長 週刊読書人2022年8月5日号 久米民十郎 モダニズムの岐路に立つ「霊媒派」 著 者:五十殿利治 出版社:せりか書房 ISBN13:978-4-7967-0395-6 著者が「はじめに」に書いているとおり、一九八〇年代半ばに久米民十郎(一八九三―一九二三)という画家の存在が文学史の文脈で脚光を浴びるようになった。それを受けるかたちで、美術史でも注目されるようになった。そして、一九九二年に遺族の手元にその絵画作品の存在が確認された。本書はそれからの三〇年に近い美術史研究の成果である。作品発見の当時、その重要性はそれほど多くのひとに認識されていなかった。 関東大震災による突然の死。それもわずか三〇歳という若さであった。また、かなりの作品資料が現在もまだ国外に存在する可能性はあるものの未発見の状態のままである。そのような条件がこの特異な画家を忘却のなかに封印させてしまう可能性もあった。著者は、地道な気の遠くなるような博捜によってその実像に迫ろうとしている。しかし、いわゆる「伝説」に包まれることによって不要な存在感を放つという(たとえば藤田嗣治のような)毀誉褒貶のノイズを免れることができたことは画家にとって幸運であったという見方も許されるかもしれない。 とはいえその「実像」は、やはりとらえ難い。しかも、「霊」と「エーテル」を組み合わせた、いまでいう「ハイブリッドな」言語表現によって、自身の絵画観を「レーテルズム(霊+Etherism)」と呼称する画家の主義主張を、作品を踏まえて正確に検証することは限られた現存作品という条件下ではきわめて困難なのだ。 著者は、既存の歴史のパラダイムを切り崩して、まったく新しい歴史の風景を現出させるというような野心を抱いていない。むしろ、見つけ出した文献資料に事実を丹念に確認する作業を通じて、久米民十郎という未知の存在を、いうならば少しでも手触りを感じさせる、歴史のなかの一彫像として浮かびあがらせようとしている。 そのとき、「モダニズムの岐路」は、大きな一本の単数の道筋が分岐するという状態ではなく、無数の大小の複数の流れが渦を巻き、交錯し、ときに混濁もする状態であることに本書を読み進むうちに読者は気づかされることになる W・B・イエイツやモーリス・メーテルリンクやエズラ・パウンドなどの世紀転換期以降の文学者たち、そして、日本に限っても志賀直哉、郡虎彦、野口米次郎などの小説家や詩人たちがその周囲を取り巻いている。さらにパウンドばかりでなくアーネスト・ヘミングウェイも久米民十郎作品を所有していたと伝えられている。 また「マダム・カリーナ」や伊藤道郎などのダンサーとも親密であり、舞台美術家として知られるエドマンド・デュラックも知己であり、本書では触れられていないものの組曲「惑星」(一九一六年)で知られるグスタフ・ホルストも伊藤道郎を介してけっして遠い存在ではなかったと思われる。 そして、画家としての出発に当たっては黒田清輝、エーミール・フックスといった当時のアカデミズムをそれぞれの文化的文脈で体現していた画家たちと出会っている。そして、そこからさらに同世代の藤田嗣治と第一次世界大戦中のロンドンでは一時期ともに暮らし、さらにはヴォーティシズム(渦巻派)周辺の芸術家たちとも出会った。現存する代表作のひとつ《OFF ENGLAND》(油彩、一九一八年、神奈川県立近代美術館蔵)の特異な抽象性とヴォーティシズムの画家クリストファー・ネヴィンソンの造形的特質との比較分析が、本書の白眉のひとつである。一九一八年というきわめて重要な、第一次世界大戦中の歴史的な年にひとりの日本人がどのような造形表現に挑み、まさに戦争の影のなか渦巻くモダニズムの諸潮流が流れ込んでいたロンドンに身を置いていたことが貴重な現存作品を踏まえてみごとに解明されているのだ。 ロンドンでの師匠であるフックスの描いた、久米民十郎の肖像(神奈川県立近代美術館蔵)と石膏による頭像(個人蔵、日本)が残されている。ともに一九世紀的なサロンを想起させる技量の高さを示すと同時に、グローバルなアートシーンに二十歳そこそこの東洋の眉目秀麗な青年が登場したことをそれらは証言している。 しかし、それらがクリムトと同じ世代でありながら、「ハプスブルク帝国」の穏当なアカデミックな表現の枠内に納まっているという事実が、その後、「レーテリズム」へと加速してゆく芸術家としての久米民十郎の前衛性との乖離を物語る。それは裏返せば歴史的な孤立という風にとらえることもできなくはない。 しかし、本書は、徹底した資料調査に基づいて、その「孤立」とみえるものが、じつは日本の画壇の閉鎖性に由来していることも暗黙に語りかけてくれる。詩人エズラ・パウンドがその代表作である大作「タミの夢」(正式の題名は不詳)を所有していながら、第二次世界大戦後の混乱のなかヴェネツィアで切断され消失してしまったことを詩人仲間の北園克衛への手紙で惜しんだとき、その手紙を東京で受け取った北園克衛は久米民十郎のことを知らなかったという事実は象徴的である。 本書は、久米民十郎のグローバルな人的ネットワークを探るための多くのヒントをあたえてくれる。それは多ジャンルにわたるものである。今後、とりわけ身体表現=パフォーマンスの文脈からさらに多くの事実関係が明らかにされれば、その成果があたかも渦巻のように還流して現存作品の新たな解釈の地平を拓くにちがいない。また、その過程は、知られざる作品の発見を促す可能性も秘めている。 本書の刊行は、久米民十郎をめぐる複雑なモダニズムの諸相に新たなひかりを当てるものであると同時に単なる美術史研究を越える探求の足掛かりとなる画期的な出来事である。(みずさわ・つとむ=神奈川県立近代美術館長)★おむか・としはる=筑波大学特命教授・名誉教授・芸術学・近代美術史。著書に『大正期新興美術運動の研究』(毎日出版文化賞奨励賞)『非常時のモダニズム』(芸術選奨文部科学大臣賞)など。一九五一年生。