書評キャンパス―大学生がススメる本― 前田智成 / 上智大学理工学部情報理工学科1年 週刊読書人2022年8月12日号 運命論を哲学する 著 者:入不二基義・森岡正博 出版社:明石書店 ISBN13:978-4-7503-4826-1 「運命」と言うと、何か胡散臭い感じがして、文明人がまともに向き合うものではないと思われがちだ。二人の哲学者がその「運命」という概念に正面から取り組んだのが、現代哲学ラボ・シリーズ第一巻『運命論を哲学する』(2019)である。 本書は入不二の著書『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社、2015)の内容を踏まえて、森岡から出た質問に対し入不二が応答するという形式で進む。ただし、第Ⅰ部は『あるようにあり、なるようになる』の森岡の目からの骨子であるため、未読でも安心してついていくことができる。そもそも本書を読むにあたって、必要とされる哲学的知識はほとんどない。強いて言えば、本書でも度々言及されている『まんが 哲学入門 生きるって何だろう?』(森岡正博講談社現代新書、2013)を予め読んでおくと哲学者の問題への斬り込み方に慣れておくことができるため、スムーズに議論に入れるはずだ。 第Ⅱ部では、入不二による講演からの、入不二と森岡による侃侃諤諤のディスカッションが繰り広げられる。そして第Ⅲ部では、講演で語り切れなかったこと、さらに考えたことが、入不二と森岡それぞれに記される。段階を踏んだ対話により徐々に思考が深まっていく様は実に読み応えがある。一瞬立ち読みしただけで私はその熱量に惹きつけられた。張り詰めた議論の中に、可愛らしいイラストや入不二の運命的な出会い(つまりは伴侶との出会い)のエピソードといった清涼剤も織り込まれているため倦むことがない。 入不二は「時間」という概念と、排中律(「全ての命題は真であるかもしくは偽である」という法則)を主とした「論理」とを利用して、論理的運命論を唱える。この主張を一言でまとめると、どのような現実の出来事もただそれだけでそう決まっている、ということだ。わかりやすく説明するために、因果的決定論や神学的決定論との違いを強調しよう。これらの運命論は「何か(因果関係や神さま)が現実を決定する」という構造を持つ。つまり現実より上位の何かを想定しているのだ。 一方、入不二の言う論理的運命論では、現実はそれのみで決定される。決定というより確定と言ったほうがいい。現実を非常に強力なものだと捉えているのだ。この論理的運命論をどこまで掘り下げられるかが、入不二の挑戦する課題である。詳細な議論には踏み込まないが、時間に関する当たり前の前提から出発した論理的運命論は、「言語、概念、思考の限界について」というメタ哲学的な問いにまで達する。その極地においては、もしかすると何かしらの宗教の極意と接点があるのかもしれない。余談だが、「入不二」の由来である『維摩経』「入不二法門品第九」は言語の限界を示す説話である。 とはいえ、本書の内容そのものは、スピリチュアルなものや自己啓発とは基本的に無縁である。「運命」という言葉の持つ雰囲気からはかけ離れた、ドライな哲学的議論が展開される。が、現代哲学ラボの世話人である編集者田中さをりは後書きでこう述べている。「あの時あんな風に言い返してやればどんなにすっきりしたことだろうと、何度も何度も同じ気分を味わうあの嫌な感じ。入不二の著作や語りには、そんな恨めしい気分から解放させてくれる力がある」 研ぎ澄まされた論理は、日常で生じた悪感情を浄化する。その点において、この本は心が摩耗した現代人への処方箋となるかもしれない。私を雑念から脱出させてくれるものがここにはあった。★まえだ・ともなり=上智大学理工学部情報理工学科1年。科学哲学や科学技術社会論、倫理学、社会運動に関心がある。この春にボクシングを始めた。