歴史家の王道の方法から描いた群像劇 関智英 / 津田塾大学准教授・中国近現代史 週刊読書人2022年8月12日号 満洲国グランドホテル 著 者:平山周吉 出版社:芸術新聞社 ISBN13:978-4-87586-639-8 書店で一瞥した本書の表紙絵が、安彦良和のものであることはすぐにわかった。中心に描かれた満洲国旗は、何故か青色部分が緑色だが、それもあってか、ひときわ鮮やかだ。『機動戦士ガンダム』の作者として著名な安彦良和だが、満洲国を日蒙混血児の眼から描いた『虹色のトロツキー』の作者としても知られている。 ただ本書に関して言えば、主題は満洲国で活動した日本人ということで、正直あまり期待はしていなかった。「今さら満洲でどんなネタがあるのだろうか……」と。 一九八〇年代末、映画『ラストエンペラー』の影響もあって、多くの満洲関連書籍が上梓された。この状況を、「最後の」満洲国ブームと評したのが、ベストセラー『キメラ』(中公新書、一九九三年)で、政治体制を軸に満洲国の成立を分析した山室信一である。しかし、それからもすでに三十年。その後も、少なくない満洲関連の書籍が出版されてきた。 最近では、及川琢英『帝国日本の大陸政策と満洲国軍』(吉川弘文館、二〇一九年)や、満洲国で活動した台湾人に光を当てた許雪姫『離散と回帰』(東方書店、二〇二一年)のように特定のテーマを掘り下げたもの、あるいは、戦後の日本社会で満洲がどのように語られたのかに着目した佐藤量ほか『戦後日本の満洲記憶』(東方書店、二〇二〇年)のように、従来のアプローチとはやや異なる角度から接近する成果が登場している。 しかし、評者の先入主は、よい意味で裏切られた。著者は、個々には知られていた数多の事実をつなげていくことで、既知の人物についても、その知られざる姿を明らかにすることに成功したからである。 本書は全三六回で、満洲国に関わった日本人に焦点を当てていく。特定の主人公を設定せず、ある場所――本書では満洲国――に集まる複数の人々の姿を並行して描く「グランドホテル」と呼ばれる群像劇の形式だ。 登場人物は官僚、軍人、作家、ジャーナリスト、映画関係者が中心で、官吏では駒井徳三(総務庁長)、武藤富男(弘報処長)、星野直樹(総務長官)、古海忠之(総務庁次長)、軍人では板垣征四郎、林銑十郎、ジャーナリストでは石橋湛山(東洋経済新報)、石山賢吉(週刊ダイヤモンド)、作家では小林秀雄、八木義徳、島木健作、そして映画関係では甘粕正彦に木暮実千代……。 いずれも関心のある人であれば、満洲とのつながりで、一二度見聞きしたことのある名前だろうし、使われる史料のほとんども公刊されたものである。 にもかかわらず、本書が魅力的なものになったのは、著者の関心が、いわゆる専門にとらわれずに広いこと、そして「雑書」をも疎かにしないその読書スタイルも関係しているかもしれない。 著者は「手元に集めた雑多な本を手当たり次第に読んでいくのが、安直にして有効なやり方かもしれない」と謙遜するが、どうしてどうして、これこそ、歴史家の王道ではなかろうか。 思うに、新発掘の史料にもとづく新知見がちりばめられた歴史書は確かに面白いかもしれない。ただ、それは言うなれば当然の面白さである。一方地味かもしれないが、既知とされてきた史料の読み直しによる新発見は貴いし、より深いものだ――本書はその好例である。 一例を、第一回・小林秀雄を例に説明しよう。評論家の小林の名を知らない者はいないし、小林秀雄に関する研究も多い。戦時中の中国大陸との関係に限っても、小林の満洲行や、火野葦平への芥川賞授与のために、小林が戦時下の杭州に赴いたことなど、エピソードには事欠かない。 ただ小林秀雄が満洲の建国大学で講演したことについては、従来の小林研究では注目されてこなかった。ところが、小林の建国大学訪問にだいぶ以前から言及していたのが、冒頭でも触れた『虹色のトロツキー』なのである。 では、典拠は何か。著者は一九八一年に刊行された『建国大学年表』に関係記事を見つける。同書は、建国大学研究の分野では知られた基本書である。しかし、そこでの小林講演の記述は長らく注目されることなく、埋もれていたのである。 こうした断片として孤立していた情報を、雑書をも含めた数多の書籍から発掘して互いにつなげ、「登場人物が思わぬ本や記録の中で、違う顔を見せている偶然を発見する楽しみに賭け」たところに、本書の妙味がある。 本書は他にも、従来あまり注目されてこなかった、「満洲の廊下トンビ」こと小坂正則(報知新聞新京支局長)ほか、岡田益吉(協和会弘報科長)、田村敏雄(浜江省次長)、星子俊雄(人事処長)、武内文斌(朝日新聞奉天通信局長)、内村剛介(上智大教授)、木田元(中央大教授)といった人々にもページを割いており、読みごたえがある。映画『男はつらいよ』の御前様役で知られる笠智衆と満洲とのつながりも目から鱗だった。 これまで満洲と日本人の関係を知らなかった人はもちろん、前提知識はある、と自負する諸兄姉も間違いなく堪能できるだろう。(せき・ともひで=津田塾大学准教授・中国近現代史)★ひらやま・しゅうきち=雑文家。雑誌、書籍の編集に携わってきた。昭和史に関する資料、回想、雑本の類を収集して雑読、積ん読している。著書に『戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々』『江藤淳は甦える』など。一九五二年生。