写真の外側で起こり続けた出来事をめぐる 川崎祐 / 写真家 週刊読書人2022年8月12日号 「ナパーム弾の少女」五〇年の物語 著 者:藤えりか 出版社:講談社 ISBN13:978-4-06-528813-9 はじめに九歳の少女がいた。名前は、ファン・ティ・キム・フック。ベトナム戦争中に撮られた一枚の写真の被写体として知られる、裸で逃げ惑うあの「ナパーム弾の少女」だ。米ソ冷戦構造と被植民地としての歴史、さらにはベトナム国内内戦が複雑に絡み合い、泥沼化の様相を呈していたベトナム戦争において、一九七二年六月八日にAP通信の写真記者ニック・ウトによって撮影されたこの写真は世界中を駆け巡り、「戦場で本当に起きている残酷な事実」を世界に印象付けることとなった。翌年のピュリツァー賞と世界報道写真大賞を受賞したこの写真は、ベトナム戦争の悲劇を物語るいわば記念碑的な一枚と言える。 藤えりか『「ナパーム弾の少女」 五〇年の物語』は、その記念碑的な写真の外側で被写体に何が起こり続けたのかを、小気味のいい文章で伝える。あの日、「人体に張りつき、炎も深部までゆきわたる」ナパーム弾の爆撃によってキム・フックは「Ⅲ度の熱傷を負い、神経も毛包も汗腺もダメージを受けた」。撮影者であるニックが病院へ搬送した後、現場に居合わせた別の記者たちによる奔走も手伝い、彼女は奇跡的に一命を取り留め、皮膚移植手術と一四ヶ月に及ぶ入院を経て日常生活へと復帰する。ただしそれは戦争と戦争の終結、資本主義から社会主義への体制変換、カンボジア侵攻に端を発する新たな戦争という大きく変化する日常を、火傷痕と「ものすごい痛み」とともに生きていく日々でもあった。 痛みは、何も傷つけられた身体からのみ発せられていたわけではない。社会主義国家となったベトナムは、彼女をプロバガンダに利用する。戦争被害者として世界的に「有名」でありながら、顔や手など人の目に触れる部分に火傷痕を残さない彼女は、国家によって都合の良い「反米」「反帝国主義」のシンボルだった。姑息な手段で自由を奪われた彼女は、医者になる道も国家の手で断たれることになる。反戦から反米へ。戦争の悲劇の「決定的瞬間」を見事に捉えた一枚の写真は、常に何ものかの象徴であり続けた。ただ、写真の中で必死に何かを叫んでいるように見える彼女自身の声だけ、写真の中からはじきだされた。 身体と心が「ものすごい痛み」で引きつる毎日をキム・フックは新たに見出したキリスト教への信仰を支えとしながら、持ち前の聡明さと前向きな姿勢、強制された広報活動で得た西側の記者や反戦運動家、彼女を「私の娘」と溺愛してやまない首相、ファム・ヴァン・ドン等との伝手を駆使した良い意味でしたたかな振る舞いによって切り抜けていく。とりわけ留学先のキューバから結婚相手とともに「自由」を求めてカナダへと亡命するくだりは間違いなくこの本の見せ場のひとつなのだが、既に類書を読んでいた私は、また別のところに本書の魅力を感じた。それは、被写体と撮影者のあいだに築かれた関係である。 写真の外側のキム・フックの物語がテンポよく語られるいっぽう、撮影者ニック・ウトの物語も語られている。ベトナム南部に生まれ、AP通信の写真記者として命を落とした兄の意志を引き継ぎ、写真記者となった彼もまた戦争の被害者だった。戦場となった故国で仕事に邁進するなか撮ったあの写真は彼に写真記者としての名誉を授けたが、ひとたび手を離れた写真はその受容をコントロールできるものではない。それはもちろん「写真」自体の抱える宿命でもある。しかし、写真を撮った者は心のどこかに疼きを感じるものだ。それは撮影者の責任とも言い換えうるものだが、その種の議論は本書の範疇ではない。だが、ネガが現像される前に彼女の救命救助に尽力し、亡命先のカナダで継続的な対話を続けた彼の撮影のあとにも続いた写真家としての仕事は、あの写真の中に写真からはじきだされた彼女自身の声を響かせる後押しともなっただろう。「ナパーム弾の少女」の写真の外側をめぐる物語は、撮った者と撮られた者が築いていく「緊密な関係」の一端に触れる。(かわさき・ゆう=写真家)★とう・えりか=朝日新聞記者。朝日新聞デジタルで「シネマニア・リポート」を連載。著書に『なぜメリル・ストリープはトランプに嚙みつき、オリバー・ストーンは期待するのか』など。