アメリカからヨーロッパ、そしてナチスドイツへ 北垣徹 / 西南学院大学教授・社会学 週刊読書人2022年8月12日号 弱者に仕掛けた戦争 アメリカ優生学運動の歴史 著 者:エドウィン・ブラック 出版社:人文書院 ISBN13:978-4-409-51092-6 遺伝的要因に人工的に介入し、個人や集団、国民全体の改良を目指す知は「優生学」と呼ばれる。ユージェニックスは「よき生まれ」を意味するギリシア語に由来する。この語を用いて最初に理論化を行うのはイギリスのフランシス・ゴールトンであり、一九世紀末のことだ。ゴールトンの定義によれば、優生学とは「生存に、より値する人種またはその血統にたいし、劣った人種あるいはその血統よりも、より速やかに繁殖する機会を与えることによって」人類を改良する科学である。 こうした優生学に基づいていち早く断種法を制定し、手術によって遺伝性とされる病気や障害のある人々の出産を防ぐ優生政策を取ったのは、二〇世紀初頭のアメリカ合衆国である。断種法が最初に制定されたのは、一九〇七年インディアナ州のこと。その二年後にはカリフォルニア州でも断種法が通過、米国で最も多くの断種手術を行う州となる。一九三七年のジョージア州に至るまで、断種法を制定した州は三〇を越える。断種手術の件数のピークは一九三〇年代であり、この頃年間で二万件を越える手術が行われる。 本書『弱者に仕掛けた戦争』が明らかにしようとするのは、知としての優生学がどのようにして生み出され、どのような経路で普及し、いかにして断種法の制定と執行という政策にまで至るのかという点である。また、いかなる人物や団体が、そうした知の生産や普及に関与するのか、それを財政的に支えるのは誰かという点である。著者のエドウィン・ブラックはジャーナリストで、こうした点を明らかにするために大規模なプロジェクトを敢行する。四ヶ国一五都市で五〇人以上の調査員が、一〇〇を越える図書館や公文書館で五万点もの文書、数百冊の書籍や雑誌に眼を通した結果が本書である。邦訳は註や索引を含めると七〇〇頁を越える大著であるが、詳細な調査が浮かび上がらせる細部が鮮明な喚起力をもつ。 ブラックは前著『IBMとホロコースト——ナチスと手を結んだ大企業』(二〇〇一年、柏書房)では、ドイツで優生学的な制度が自動化されるうえで、IBMが自社のパンチカードによって果たした役割を暴露した。同社がヒトラーの暴挙に通じていながらも、パンチカードの提供を続けていたことを示した前著と、『弱者に仕掛けた戦争』は同様の関心や意図に貫かれている。 本書が詳細に跡づけるのは、二〇世紀初頭に優生学の知や制度がアメリカ合衆国内で拡がっていくと同時に、合衆国とヨーロッパ諸国とのあいだで国際的に流通していく様である。合衆国内では、ダヴェンポートやラフリンらがコールド・ハーバード・スプリングの研究所や優生学記録局で活動し、カーネギー協会やロックフェラー財団が、また鉄道王ハリマンの遺産が、研究資金を提供し出版を支援する。他方で、ダヴェンポートによる教科書がアメリカ各地の大学で用いられ、優生学が教育課程に組み込まれていく。ハーバードやコロンビア、コーネル、ブラウン大学などで一九一四年から優生学の講義が開講され、また優生学教育は高校でも普及していく。 アメリカで優生学者たちは、遺伝性とされる病気や障害だけでなく、人種間の違いにも目を向ける。二〇世紀初頭、アメリカへの移民数はピークに達するが、この頃移民たちの知能をテストによって数値化することで、人種間に知的な優劣を付け、特定人種の入国を制限する政策が生まれる。また人種間の結婚を禁じる州法は、すでに一九世紀末に存在していたが、一九二四年にはヴァージニア州で「人種純血保全法」が可決され、白人と非白人の結婚が禁じられると共に、混血を定義して記録しようとする。 優生学はアメリカから国際的な拡がりもみせる。第一回国際優生学会議の開催は一九一二年のロンドン、すでにゴールトンはなくなっている。当会議の議長を務めるのは、ダーウィンのいとこに当たるこの優生学の創始者ではなく、ダーウィンの息子レオナードである。このように、最初の国際的な優生学学会は、ゴールトンやダーウィンの祖国イギリスで開催されるのだが、実質的に会の中心をなしていたのはアメリカ人である。すでにこの時点で、インディアナ州やカリフォルニア州で断種法が施行されており、アメリカは優生学の最先進国である。したがって国際優生学会議の舞台も、大西洋を越えて米国へと移る。一九一五年に開催予定だった会議は、第一次世界大戦のために中止。第二回国際優生学会議は一九二一年、ダヴェンポートらアメリカ人優生学者が牛耳るなか、ニューヨークで開催され、財政面での援助を行うのはカーネギー協会やハリマン夫人である。 本書によれば、こうしたアメリカ主導の優生学は、具体的な提言を通じて他国へと拡がっていく。例えば一九二五年、ダヴェンポートは移民の家族を調査し、優生学的な適性について審査するという計画の決議案を提出。この決議案によれば、すべての国は、その国民に誰が含まれるかを選ぶ権利を持つため、輸入される馬や牛と同じように、移民の受け入れに際して家族史と個人歴を調査することができる。このように、人間を家畜に例え、国際的に標準化された家系登録用紙を用いて移民の受け入れ規制を行うことが目指される。 本書が何よりも強調するのは、かくしてアメリカ優生学がナチスドイツの政策に与える影響である。この主題は、すでにシュテファン・キュール『ナチ・コネクション:アメリカの優生学とナチ優生思想』(麻生九美訳、明石書店、一九九九年)が取り上げていた。ブラックは前著『IBMとホロコースト』の延長上で、ヒトラーが取り入れた優生学の知的概要はアメリカ発だったこと、またアメリカの優生学者もナチスドイツの優生政策を称賛していたことを示す。この主題は本書の核を成すものであるが、この点ばかりを強調しすぎると、優生学の国際的な拡がりの社会的・経済的背景を見失うおそれがある。日本ではむしろ第二次世界大戦後、優生保護法のもとに断種政策が本格化する。このことの意味を捉えるためには、本書で示されるのとはまた別の視点を用意しなければならない。人種ではなく、労働する主体として人を価値づける優生学を問わねばならない。(貴堂嘉之監訳、西川美樹訳)(きたがき・とおる=西南学院大学教授・社会学)★エドウィン・ブラック=ジャーナリスト・作家。アメリカ、ヨーロッパ、イスラエルの主要な新聞雑誌に記事を執筆。