人類の叡智を尽くして取り組むべき深遠な問題 渡邉正峰 / 東京大学准教授・認知神経科学 週刊読書人2022年8月12日号 意識はなぜ生まれたか その起源から人工意識まで 著 者:マイケル・グラツィアーノ 出版社:白揚社 ISBN13:978-4-8269-0235-9 最初にことわっておきたい。著者であるグラツィアーノ教授と私とでは、意識へのアプローチが異なる。どのくらい異なるかといえば、映画「マトリックス」で言うところの赤ピルを飲むか、青ピルを飲むかくらいにまったく異なる。 赤ピル、青ピルと言われても、何のことだかわからないかもしれない。映画冒頭で主人公のネオは、赤、青、2つの錠剤の選択を迫られる。ネオは赤ピルを選び、世界の驚愕の姿を目の当たりにする。自身を取り巻く環境が、自らの脳が繋がれたコンピュータの紡ぐ仮想現実に過ぎず、実際の身体は機械の支配するディストピア世界に置かれ、機械を養う電池の働きをしている…。 では、赤ピルと青ピルほどの違いとは、具体的にどのような違いだろうか。私自身を含む多くの研究者は、意識が脳に宿ることの大いなる問題、哲学者のチャーマーズが言うところの「意識のハードプロブレム」を認め、それを解き明かそうと奔走する。対する著者は、意識をある種の錯覚と捉え、そもそもの問題が存在しないと反駁する。本書冒頭の「科学者としての私たちの仕事は、人々がなぜ意識のハードプロブレムがあると信じてしまうのかを説明すること」の言説にみられるように。 ここでの意識とはなにか。誤解も多いが、その定義については、研究者の間でコンセンサスがとれている。我々が問題とする意識とは、ずばり「主観体験」だ。平たく言えば、見る、聴く、悲しむ、思考する等々、常日頃味わう当たり前の感覚に過ぎない。あまりにも当たり前すぎて、それが、ギリシャ哲学以来、幾多の先人たちの頭を悩ませてきた意識の本丸(・・)だと聞かされてもピンとこないだろう。 では、その本丸(・・)にまつわる問題、意識のハードプロブレムとはなんだろうか。搔い摘んで説明しよう。①電極を挿入して活動を計測する、スライスして顕微鏡下で観測するなど、客観的な視点に立てば、脳はちょっとばかり手の込んだ電気回路に過ぎない。一方で、②同じく電気回路であるラジオが電波を受信し、それを音に変換した際に、ラジオそのものに主観体験、たとえば、音声を聴く感覚が生じるとは考えがたい。しかしながら、③私たちがものを見たり、聴いたりしている時点で、脳そのものである私たちに主観体験が湧くことには疑いの余地がない。①②と③の間の矛盾こそが意識のハードプロブレムである。 残念ながら、この短い文章のなかでハードプロブレムをみなさんに直観してもらうのは難しい。赤ピルの助けなしに、マトリックスに暮らす人々に世界の真の姿を説くようなものだ。一定期間の自問自答がどうしても必要となる。とある脳科学者は、私が二時間かけて説得を試みてから、半年後にようやく開眼したらしい。一方で、悟りの境地に至った暁には、赤ピルの衝撃があなたを襲うことになるだろう。 その上で、ハードプロブレムと著者の主張との関係性を、マトリックスになぞらえて言い表すならば、二つの可能性があると考えている。第一は、単純に赤ピルを飲みそこねている可能性だ。決して高くはないが、本書のそこかしこに表れる記述からその可能性も捨てきれない。 第二は、赤ピルを飲んだ上で、ディストピア世界を抜け出す第二の赤ピルが真に存在する可能性だ。鍵を握るのは「注意の機構を内的にモニターする我々の脳のしくみにより、非物質的な主観体験が存在するものと思わされている」との主張である。私自身、読み終えてから今に至るまで、この謎掛けを解こうと自問自答を繰り返しているが、未だ悟りの境地に至っていない。逆に至ったなら、意識の科学的な解明、その先の、意識のアップロードを目指す私の自己像は、幻の巨人を追いかけるドン・キホーテの姿に否応なく重なるわけだが。 ただ、どちらの可能性にせよ、あなた自身とも言える意識をいま一度見つめ直す上で、素晴らしい読書体験となることは間違いないだろう。科学広しと言えど、意識の問題ほど手つかずの問題はない。宇宙の深淵まで行かずとも、叡智を尽くして取り組むべき深遠な問題が私たちの頭の中にある。果たして、第二の赤ピルは存在するか。本書を手に取り、意識研究の最先端へと旅立ってほしい。そして、第二の赤ピルの存在を確信したなら、それを私の口にねじ込んでほしい!(わたなべ・まさたか=東京大学准教授・認知神経科学) ★マイケル・グラツィアーノ=プリンストン大学神経科学・心理学教授。同大学の神経科学ラボを率いる。神経科学に関する本を執筆するほか、ニューヨーク・タイムズ紙、アトランティック誌などに寄稿する。