リリックに、社会問題が、抗争が、文化が、思想が還流する 川瀬慈 / 国立民族学博物館准教授・映像人類学 週刊読書人2022年8月19日号 魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ 著 者:陣野俊史 出版社:アプレミディ ISBN13:978-4-910525-01-3 本書の魅力は、フランスのラップ、〈ラップ・フランセ〉の熱量をめまぐるしく変貌する世界とのつながりのなかで伝えている点にある。まず、のっけからがつんとやられるのは、ラップにとってアメリカは決して「家父」でなくなった、という宣言だ。かつてはアメリカを震源地とするラップに、フランスのラップは強い影響を受けてきた。しかしながらアメリカは(アメリカのラップは)現在、ラップ・フランセに与える様々なインスピレーションのほんの一つにすぎない、というのである。ラップの家父長とされてきたアメリカを、本書はまず冒頭で冷徹に相対化してしまう。それに対して、近年フランスを拠点に活躍するラッパーたちの多くが、アメリカよりもアフリカや日本とのつながりを強めている事例が紹介され、極めて興味深い。『東京喰種トーキョーグール』の世界観に没入したSuzuya、マンガ好きで〝ラーメン(Ramen)〟という曲をリリースしたり、任天堂のゲームボーイすらもヴィデオや楽曲に取り入れるOrelsan等々。日本から発信されるアニメやポピュラーカルチャーに影響を受け、共感を覚えるラッパーたちがこんなにたくさんいるのか。 本書はフランスを拠点にするラッパーや彼ら彼女たちの作品の単なる紹介本ではない。本書がとりあげるリリックを通して、様々な社会問題が、抗争が、文化が、思想がめまぐるしく還流する。郊外(バンリュー)における貧困や格差、人種差別、植民地主義の禍根、移民の表象をめぐる議論、アフリカや中東に出自を持つ者のルーツ探求の旅、イスラム教徒としての生き方、ネグリチュードの現在、警察の追跡から逃げる途中にアフリカ系移民が死亡したことによる「暴動」、世界を揺るがしたシャルリ・エブド事件、警察による黒人男性アダマ・トラオレ殺人事件。本書は、文字通り現代史の渦の中に読者を放り込んでいく。 著者によればKery Jamesによる〝クズども(Racailles)〟は、サルコジが郊外の若者たちに吐いた言葉「クズども、お前たちを掃除機(ケルヒャー)で掃除してやる」へのいわば返歌であるという。この歌がきわめて痛快なのは、サルコジから郊外の若者たちに投げかけられた〝クズども〟という罵倒を、Kery Jamesは逆手にとり、フランスで汚職に手を染めた政治家の名前を挙げつつ「クズどもは、実際はお前たち政治家のこと、お前たちこそが社会から掃除されるべき存在なのさ」と痛烈に揶揄している点だろう。怒りがヒリヒリと伝わってくるヴィデオクリップも必見である。ヴィデオクリップといえば、Bigflo & Oliによる〝お前の家に帰れ(Rentrez chez vous)〟のリリックと映像は衝撃であった。この歌が描く世界はいわば近未来。フランスでは戦争が巻き起こり、人々が海の向こうに逃れようとさまよう。主人公が、船に乗って命からがら海の向こうの彼の地に到着したと思ったら、そこには有刺鉄線と高い壁。銃を持った兵士たちが見張っている。当地の人々は移民となった主人公を険しい顔でにらみつけ「お前の家に帰れ」と叫ぶ。この歌においては、中東やアフリカの人々ではなく、フランス人こそが国を追われ、移民として海を渡り、排外主義や差別に直面する存在として描かれるのだ。Bigflo & Oliは、歴史的な経緯をあえて転倒させ、世界を異化して描くことによって、どこにでも誰にでも起こりうる問題を我々に否応なくつきつける。 脚注に掲載されたQRコードは、ラップ・フランセの熱い大海に身を投じる窓口である。著者が訴えるように、読者は、本書を読み進めながらYoutubeにあげられている、ラッパーたちのヴィデオクリップに飛び込み、その歌や映像の世界に没入することをおすすめする。本書のおかげで私は、ネグリチュードのラッパーYoussoupha、中毒性の高いオノマトペを連発するSefyuにはまってしまった。また、ベルギー人の父とコンゴ人の母のあいだに生まれたBalojiの耽美的な映像の世界に深く魅了された。 「どこかの国の、その国の色を深く刻んだ文化があるとして、その文化はしかし、いつか混ざり合い、痕跡を残しながらも別の色合いに変化する。固有性を主張するのではなく、緩く混ざり合うことでつながり、自らが複数の存在であることをはっきりと示す。(中略)そのネイションはいつもざわめきに満ちた、落ち着かない空間になっているかもしれない」 さあ、ざわめきに満ちたラップ・フランセのネイションの世界に飛び込み、魂の声の叫びをたよりに、旅を続けることにしようか。(かわせ・いつし=国立民族学博物館准教授・映像人類学)★じんの・としふみ=文芸批評家・作家・フランス語圏文学研究者・立教大学大学院特任教授。著書に『じゃがたら』『渋さ知らズ』『フランス暴動移民法とラップ・フランセ』『サッカーと人種差別』など。一九六一年生。