自分の闘いのために映画を撮る 林浩平 / 詩人・文芸評論家 週刊読書人2022年8月19日号 さらば、ベイルート ジョスリーンは何と闘ったのか 著 者:四方田犬彦 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-03039-5 ジョスリーン・サアブ。「わたしの名前ってスゴイでしょ。ジョイスとセリーヌの結合なのよ。サアブというのは困難という意味だし」。それが口癖だったレバノン人の女性映画作家は、生年の一九四八年のイスラエル成立に端を発した第一次中東戦争以来、いまに至るパレスチナ難民問題を背景に、一九七五年からのレバノン内戦のなかで「ベイルート三部作」と称されるドキュメンタリーを撮り続けた。本書は、そんな彼女の評伝である。 評伝ではあるが、タイトルに留意したい、「さらば、ベイルート」と謳われ、主人公への共感を隠さない口ぶりである。そう、著者は、主人公の友人として、最後の映像作品の制作に献身的に協力するという経験を持った。主人公の闘病の日々にも付き合い、二〇一九年一月に逝去の報を東京で受けることとなる。本書は、それが契機となって綴られた鎮魂のためのドキュメントである。 ジョスリーンは、キリスト教マロン派で、ベイルートでは一五〇年の歴史を持つ名家に生まれた。サアブ家は典型的な銀行一家で、祖父が買い取り彼女も少女時代を過ごしたのは、オットマン帝国の歴代提督が住んだ豪壮なお屋敷だった。レバノン内戦ではムスリムと敵対したマロン派だが、彼女はあくまでパレスチナ難民の側に立って、四十本ほどのドキュメンタリーと四本の劇映画を撮ってきた。パリに出てきてからはTV局に就職し、レポーターとしてカダフィ大佐やアラファト議長に突撃インタヴューをしたこともあるという。またリビアのベンガジ空港では、ハイジャックした飛行機を日本赤軍が爆破する現場に居合わせてカメラを回した。日本赤軍の名を記憶に刻んだわけだ。だが「戦闘的な監督」であるという彼女の映画作品は、もっぱらフランスのTVで放映され、国際映画祭で上映されるくらいで、故郷のベイルートでの上映の機会はほとんどなかったそうだ。 著者がジョスリーンに初めて会ったのは、パリの日本文化会館での『戦艦大和』他日本の戦争映画の上映会である。上映後の作品解説を行った著者に鋭い質問をした小柄な女性が彼女だった。その後映画関係者の共通の友人を介して彼女と知り合った著者は、彼女の映画を観たことでその才能に惹かれ親しくなる。著者に向かって、ジョスリーンは生い立ちから「わたしの英雄」として尊敬する父親の話をくわしく語った。一四歳で屋敷を飛び出した父親は、道路建設のイギリス人と一緒に働き、クルド人の山賊に襲われた際には身代わりとなってイギリス人を救った。またラオスまで金鉱を探しに行き、インドで金鉱を発見したりした、という。「いったいどこまでが本当の話で、どこからが空想物語なのか、僕には咄嗟に判断ができない」。一方の母親は、「最初に対立を迫られた〈他者〉であった」そうだ。母親と娘の関係、それは彼女の映画においても重要な主題となる。 パリでの滞在を切り上げて東京に帰ろうとする著者に、ジョスリーンが、実は骨髄癌に罹っていて深刻な状態だが、これから最後の映画を撮る、母親と娘の和解を描く映画を撮るのだ、と告げた。それが『わたしの名前はメイ・シゲノブ』、日本赤軍の最高幹部だった重信房子とその娘メイのドキュメンタリーである。この題材を選ぶことになったのは、日本赤軍に関心を持つ彼女に、著者が東京から大量の関連資料を送った結果だった。「重信房子とメイを、僕は個人的に知っていた」。『ジャスミンを銃口に』という房子の歌集を文芸誌で書評した縁で、東京拘置所にいる房子と文通が始まり、小菅まで面会に行った。「帰国」中のメイとは映画の試写会で松田政男に紹介をされた。著者が、ジョスリーンと重信母娘を仲介して映画制作の手助けに粉骨するのも当然だろう。「メイは母親を持ちながら孤児だった。(略)その彼女の運命が、母親の逮捕の後で一変する。これまで自分の痕跡を消し、声を殺して生きてきた女性が、今度は自分の存在を公的に確認させ、母親とともに生き延びる手立てを考えるために困難な闘いを開始する。(略)わたしは自分の闘いのためにこの映画を撮るのだから」。 本書の背景には、映画評論家としての国際的な活動によって築いてきた著者の人的ネットワークが関わろう。また当初、ジョスリーンが語るベイルートでの摩訶不思議な思い出話などは、パリを舞台とする幻想的な短篇小説の連作として構想されたそうだ。彼女がフランス語で綴った膨大な量の回想記が、話の細部に生き生きしたリアリティを与えるのを助けただろうが、人物や情景の具体的な描写における著者の流麗な筆遣いが、パリや、ジョスリーンのいなくなったベイルートの街に軽々と読者を運んでくれよう。 重信房子は懲役二〇年の刑期を終えて今年の五月二十八日に出獄した。「ジョスリーンが生きて彼女と相見えることができなかったことを、わたしは残念に思っている」。この後記の言葉に頷くばかりである。(はやし・こうへい=詩人・文芸評論家)★よもた・いぬひこ=あらゆるジャンルを横断する批評家。著書に『ルイス・ブニュエル』『親鸞への接近』『大島渚と日本』『詩の約束』など。一九五三年生。