あの身体と眼が眺めてきた風景 中筋直哉 / 法政大学社会学部教授・社会学 週刊読書人2022年9月2日号 日本の地下水 ちいさなメディアから 著 者:鶴見俊輔 出版社:編集グループSURE この書評を依頼された頃、同僚の金原瑞人氏が一冊の小冊子を職場のメールボックスに入れていった。『BOOKMARK』というその小冊子は、七年前から彼が出している海外文学を紹介するものだ。しかし今号は緊急特集として、二九人もの文筆家が戦争を考えるための本を紹介している。それを眺めながら、私は「ああ、こうした小冊子は、いやそれ以前に書くことは市民運動のひとつのかたちなのだな」と思った。そのことにいち早く気づき、ずっと固執してきた人こそ鶴見俊輔であり、その運動の作業日誌が本書『日本の地下水』である。 黒川創の解説によると、本書は雑誌『思想の科学』に一九六〇年から一九八二年まで鶴見が連載した、全国各地のサークルによって刊行された小雑誌を時評する記事をすべて集めたものであり、「日本の地下水」の名付け親は鶴見の親友、中央公論社社長嶋中鵬二だった。と、知らない昔のことのように書くのは、鶴見や『思想の科学』の活動の近傍で育った黒川と違って、彼より五つ年少の私は、知的なことに関心をもった頃からずっとマス・メディアを通して鶴見の発言や論考に触れてはきたが、違和や反発を感じるばかりで、まじめに追いかけてこなかったからである。こうしてあらためて読んでも、基本的には印象はあまり変わらなかった。 小さなメディアとしての『思想の科学』が他のたくさんの小さなメディアとフラットに共振していく、それも溶解的にではなく批判的に。理念はそうであったろう。しかし鶴見自身は、ずっと私のような地方の一高校生でも知っているマス・メディアの巨人だったし、本書の文章にもそうした自負というか傲慢さが透けて見えるように感じる。もし私の感じた通りなら、その矛盾はどこかで行き詰まらざるを得なかったのではないか。しかし二二年間の連載に行き詰まりは見られない。なぜだろう、と考えるとき、私はただ一度ホンモノの鶴見俊輔を見た記憶が蘇ってくる。最晩年の鶴見と東海道新幹線の車中でたまたますれ違ったのだが、その印象は強烈だった。孤独の方へ限りなく後退する身体と、それとは真逆に社会の動きを探り取るべく大きく開かれた眼。赤ん坊のように幼いといってもいいのだが、八〇を過ぎた老人がそうだとなると、それはもはや一つの確固としたスタイルになっていた。あの身体と眼が二二年間ずっと眺めてきた風景だと思えば、すんなり納得できる気がするのである。 私が新しく気づいたのは、鶴見の感情のありかである。どんな文章にも書き手の基本的な感情がおのずと表れる(あまり表れない場合も含めて)。鶴見の感情は怒りだろうか、悲しみだろうか、恐れだろうか、不安だろうか。私は笑いだと思った。それは楽しいから笑うとかうれしいから笑うのではなく、怒りや悲しみや恐れや不安を吹き飛ばす力としてあって、小さなメディアを通してそれに出合ったときに、鶴見の文章はいきいきとするのである。そういえば、子どもの頃手塚治虫に弟子入りすることを夢見た私の亡父は、フツーのサラリーマンになった後も、鶴見の編んだ筑摩書房『現代漫画』全一五巻を書架に揃えていた。漫画評論家、子どもの私は鶴見の名をそういう風に知ったのである。 なお、鶴見はほとんど(意図的に)取り上げていないが、おそらくこの時代には私たちの業界の雑誌いわゆる学会誌も、たとえ『国家学会雑誌』といった大仰な題を掲げていても、ごく小さなメディアだったのではないか。論文だけでなく研究ノートや書評や編集後記などが小さな職人共同体に響き合う声を記録していたにちがいない。しかし今や学会誌は若い研究者を査読という挽き臼にかける権力と成り果てていて、SNS上には彼女ら彼らの怨嗟の声が満ちている。本書を読みながら、私たちの業界こそ、鶴見が生きていたら取り上げてくれ、笑ってくれるような小さなメディアを取り戻す必要があるのではないかと思った。(なかすじ・なおや=法政大学社会学部教授・社会学)★つるみ・しゅんすけ(一九二二-二〇一五)=哲学者・評論家・思想家。著書に『アメリカ哲学』『限界芸術論』『戦時期日本の精神史』『戦後日本の大衆文化史』『夢野久作』『期待と回想』など。