現代モンゴル社会の諸相を非定型的な形で伝える 岡和田晃 / 文芸評論家・現代詩作家・東海大学講師 週刊読書人2022年9月2日号 憑依と抵抗 現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム 著 者:島村一平 出版社:晶文社 ISBN13:978-4-7949-7303-0 モンゴルと言われて、何を連想するだろう。教科書で教えられたチンギス・ハーンの大帝国? 絵本『スーホの白い馬』? 光栄のシミュレーションゲーム『青き狼と白き牝鹿』? プロレス技のチョップ、あるいはモンゴル人力士? それとも、源義経の「落ち延び先」? 日本人の祖はモンゴルという説? 雄大な自然に暮らす素朴な遊牧民たち――そうしたステレオタイプなモンゴル像のみでは、現代モンゴル社会の多様性を捉えきれない。それこそが、本書を貫く主張である。現在のモンゴルにおいて、遊牧民は人口の一〇%に満たない。国の人口の半分は、タワーマンションが林立し尋常ならざるレベルで大気汚染が深刻化したウランバートルに住んでいる。韓国や中国、アメリカ資本の影響を強く受けながら、裏返しの排斥感情も高まりを見せている。 何より文化環境が大きく変容を遂げた。ここ二十年あまりのうち「感染症のように」シャーマニズムが――専門番組や雑誌をも含んだ――一大産業として広がり、シャーマンが人口の一%近くにも及ぶ。かと思えば、ヒップホップが大ブームとなり、広がる格差や政治家のだらしなさをラッパーたちは歌詞に乗せて批判する。もはや合理的な説明がつきそうにないが、本書はフィールドワークと理論的な裏取りを組み合わせることで、背後に横たわる文脈を拾い上げ、丹念に取り結ぶのだ。 シャーマニズムの背景には、ブリヤート由来の災因論的思考(災厄をきっかけに祖霊の「声」へ耳を傾けるようになること)の拡大がある。社会主義体制の崩壊、都市化や地下資源開発といった大規模な環境変化に適応し、あるときには人々の不満に耳を傾け生き方の指針を提示し、別のときには自然破壊に抗してみせる。こうした内在的・依存的な「抵抗」こそが、本書ではシャーマニズムの本質だと論じられている。 現代モンゴルでのシャーマニズムには社会主義体制下で抑圧されてきた「伝統宗教」の復権という側面があるのは否めないが、霊媒役の年少者に「おじいさま」「おばあさま」の霊を降ろすので、家族内での年功序列は攪乱させられる。そもそも、シャーマンとして認められるためには祭祀道具を揃えねばならず、イニシエーションには多額の費用がかかる。大学の学位を「購入」しシャーマンとしての権威づけをはかる者や、祖霊の名のもとにブランド化したデジタルツールを破壊したり、排外思想を吐露したりするような事例も語られ、怪しげな「新興宗教」としての性格も強いとわかる。 ただし――これはモンゴルのヒップホップ事情を語る本書の姿勢にも共通するが――著者はそうした新奇性を大上段から裁断するのではなく、非定型・非構造化されたインタビューのように、まずはまるごと受け止める。ゆえにリーダビリティこそ高いものの、読者の姿勢こそが問われる仕掛けになっているわけだ。 ヒップホップにしても、日本語ラップの類比のみでは、必ずしも状況を理解できない。日本語は音節言語ではなく、母音と子音がセットで発音されるため、英語では当たり前の子音を重ねての発音がかなわない。懐かしき「日本語ロック論争」の頃からのアポリアだと評者は思うが、モンゴル語の場合、音節言語であり、かつ子音を二重・三重と重ねられるのは珍しくないうえ、日常生活に口承文芸の伝統が溶け込んでいる。 加えてグローバル化の影響は確実にあって、モンゴルの外で起きている事態とも響き合う。メジャーどころでは、二〇二二年に世界デビューしたインド・ニューデリー出身で怒濤の変拍子を駆使するメタル・バンドBLOODYWOODを評者は想起した。多宗教の融和やネットいじめの問題を扱う英語ベースの歌詞に、ヒンディー語のラップが混ぜられており、ローカル性とグローバル・ミュージックの融合という文脈が共通している。 モンゴル口承文学のうち叙事詩については、一四世紀以降にアイヌ叙事詩を成立させるうえで大きな影響を与えたという説がある(丹菊逸治『アイヌ叙景詩鑑賞 押韻法を中心に』、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、二〇一八)。他方で数年前、日本の与党議員が国連で複合差別を報告したアイヌ民族の女性らに対し「コスプレ」や「日本の恥」と攻撃する差別事件が起きた。本書における「コスプレ化する民族衣装」の章は一見、それと似通った印象を与えるかもしれないが、明らかにされているのは、むしろソ連支配下に置かれる以前の民族衣装の復権を「コスプレ」のように見てしまう「日本人」側の色眼鏡である。ポスト社会主義体制下の現在から逆照射する形で、読者の側が自らのステレオタイプを自覚し、歴史の再考へと促されること。それが本書のあるべき受容の仕方なのだろう。(おかわだ・あきら=文芸評論家・現代詩作家・東海大学講師)★しまむら・いっぺい=国立民族学博物館准教授・文化人類学・モンゴル研究。著書に『ヒップホップ・モンゴリア』『増殖するシャーマン』など。一九六九年生。