戦後オタク文化と前衛の「チルドレン」としての『エヴァ』 松下哲也 / 京都精華大学マンガ学部准教授・近現代美術史・キャラクター表現論 週刊読書人2022年9月9日号 エヴァンゲリオンの精神史 著 者:小野俊太郎 出版社:小鳥遊書房 ISBN13:978-4-909812-82-7 『新世紀エヴァンゲリオン』は、もはや歴史記述の対象となった。最初のテレビアニメ版の放送が始まったのは一九九五年十月。今から二七年も前の作品である。完結編となる「旧劇場版」が九八年に公開された後も、二〇〇四年に稼働が始まったパチンコ台や、二〇〇七年に第一作が公開され、二〇二一年に完結したリメイク映画「新劇場版」シリーズを通じて、アニメファン以外の層や、テレビ版放送当時のことを知らない若者など、多くの人々が新たに同作に触れている。今や『エヴァ』はいわゆる「国民的アニメ」となり、監督の庵野秀明は紫綬褒章を受賞する「国民的作家」となった。戦後のオタク文化と前衛の文脈を内包したニッチなアニメだった同作が現在のような大衆的人気を獲得するに至った過程には、目を見張るものがある。 美術や文学など鉤括弧付きの「芸術」とは異なり、アニメをはじめとするポップカルチャーは、作品鑑賞上の規範や芸術史の素養をかならずしも観客に要求しない。これが表現と受容における豊かさの源である。また、そうであるからこそ作品と作品を取り巻く批評などの言説、およびそれらに関連する史料を解釈して因果関係を記述する芸術史の方法論によって提示された「実証的な」歴史記述とファンたちの実感や思い入れは、しばしば乖離する。ここに、アニメ史の難しさがある。 本書はタイトルにある通り、「精神史」の手法をベースにした『エヴァ』論である。精神史とは、社会や政治、芸術、学問などの歴史的事象とその因果関係を記述するよりも、むしろそれぞれの時代に固有の精神的潮流を抽出することで歴史を記述する方法のことをいう。著者の小野俊太郎はこれまでに、『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『スター・ウォーズ』『ゴジラ』『ウルトラQ』『ガメラ』などの「精神史」を著してきた文芸評論家であり、『エヴァ』を論じた本書においても、これまでの著述の蓄積に基づく知見が遺憾なく発揮されている。 本書は、『エヴァ』内部と同作に関連するテクストを概説的に整理する第一部、テレビ版を考察対象とし、先行作品や特撮史、アニメ史の参照を通じて当時の時代精神を明らかにする第二部、そして旧劇場版、マンガ版、新劇場版がどのように書き直されたのかを、テレビ版との比較によって明らかにする第三部からなる。「精神史」と題する以上、本書が取り上げる歴史的、文化的事象はこの書評に書ききれないほどに広範である。 なかでも注目すべきは、今までに書かれてきた『エヴァ』論の多くが「阪神淡路大震災やオウム真理教事件などとつながる現実の社会不安や青少年像の手がかりを、作品に読み取ろうとしたため」、同作が持つ映像史への自己言及的な性質――これは前衛の手法である――とその文脈にほとんど言及してこなかったと喝破する第二部である。本書は、日本の特撮およびアニメと戦中のプロパガンダ映画の関係性を強調するが、それに一つ付け加える形で、庵野秀明の出自である八〇年代ごろの個人制作アニメーションの潮流にも目を向けておきたい。さまざまなメディアで、いわゆるオタク文化の象徴として語られがちな当時の個人制作アニメだが、その系譜は六〇年代日本における前衛芸術の牙城であった草月アートセンターを中心に活動した作家たちの活動に行き着く。かつてオタク文化と前衛が同じ流れに属していた事実がある以上、その背後にある時代精神の探求がこれらの分野の歴史記述にとって不可欠である。本書をきっかけにして、「オタク」や「芸術」の枠組みに閉じない、新たなアニメ論が書かれることを期待する。(まつした・てつや=京都精華大学マンガ学部准教授・近現代美術史・キャラクター表現論)★おの・しゅんたろう=文芸・文化評論家。著書に『「トム・ソーヤーの冒険」の世界』『「クマのプーさん」の世界』『快読 ホームズの『四つの署名』』など。一九五九年生。