作家、編集者、ライバル誌から変遷を辿る パンス / ライター・DJ・テキストユニットTVOD 週刊読書人2022年9月23日号 「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959―2009 著 者:伊藤和弘 出版社:星海社 ISBN13:978-4-06-528763-7 一九七〇年、よど号をハイジャックした赤軍派メンバーが「われわれは『明日のジョー』である」(『明日の』は表記ママ)という言葉を残したのは、あまりにも有名なエピソードだ。子どもの文化だと思われていたマンガを「大学生が読んでいる」と、世間が驚いたのもこの頃。いまでは当たり前すぎてその衝撃を実感するのは難しいが、たしかにこの時代に、マンガは優れた文学や映画と肩を並べられるほどに、思弁的な物語をつむぎ、前衛的な試みが行えるレベルまで進化を遂げていた。 二〇二二年現在だったらアニメやゲームだってその領域に行ってるよと思われるかもしれないし、その通りだが、マンガの場合は作家になる参入障壁が低いのが特徴だろう。手元にたいしてお金がなかったとしても、目の前にペンと紙があり、絵が描けて、あふれる想像力を持てば傑作を生み出すことができる。ゆえに、膨大な人々がマンガ家を目指し、創作し、数々の原稿が出版業界を駆けめぐった。そんな作品のぶつかり合いが大きく時代を動かした。言うまでもなく、その現場のひとつが『少年マガジン』である。 一九五〇年代後半の週刊誌創刊ブームの中で『マガジン』と『サンデー』も生まれた。マンガ雑誌が週刊化すること自体が初の試みであったが、同時にそれは、当時売れっ子の極みだった手塚治虫という存在から、マンガ表現自体が次のステップに向かう嚆矢でもあった。度重なる依頼によってようやく連載を始めた手塚治虫が、とある事件により『マガジン』を離れる。そこから「アンチ手塚」路線を取らざるをえなくなった『マガジン』は、同時期に勃興していた「劇画」的表現に可能性を見いだす。その試みが冒頭に挙げた「あしたのジョー」などに代表される、リアリティと優れたストーリーテリングによるマンガを生み出すことにつながっていった。マンガ原作者として「文学」をやろうとすると同時に、そのアウトローぶりも特徴だった梶原一騎もその象徴的存在で、彼も『マガジン』を支えたのだった。 このようにクオリティの高い表現を生み出していた六〇〜七〇年代の『マガジン』はいまでも語り草になるが、本書ではその後の変遷についても大きく扱われており、読みどころといえるだろう。八〇年代、重たい文学性が忌避される中でのラブコメブームはどちらかというと『サンデー』のもの、そして『ジャンプ』黄金期のトップ独走状態のなか、『マガジン』は硬派なヤンキー路線で切り抜けていく。そして九〇年代、編集者であり原作者でもあるような樹林伸。ある世代にとっては「MMR マガジンミステリー調査班」の「キバヤシ」として認識されているであろう彼が、梶原一騎のようなプライドに基づくのではなく、雑誌全体をトータルにプロデュースしていくような手法で、ヒット作を送り出す。「新本格ミステリ」のムーブメントと同期するような側面もあった『金田一少年の事件簿』なども、この時期のものだ。 本書は歴史をコンパクトにまとめているが、その中身はじつに濃厚で、あたかも国際関係史を振り返っているようなバラエティに満ちた仕上がりになっている。なぜなら、ひとつの雑誌の歴史を単線的に追っていくのではなく、そのライバルとして存在している『サンデー』や『ジャンプ』、そしてそれらの雑誌を飛び回る数々の作家の動き、そしてそこに同伴し動かしていく編集者たちへの取材も交えて、丁寧に描写しているからだ。(パンス=ライター・DJ・テキストユニットTVOD)★いとう・かずひろ=フリーライター。著書に『男こそアンチエイジング』など。現在、朝日新聞社のウェブサイト「好書好日」で「マンガ今昔物語」を連載中。一九六七年生。