思わず知らず声が出るまれな読書体験 青木淳悟 / 小説家 週刊読書人2022年9月23日号 とんこつQ&A 著 者:今村夏子 出版社:講談社 ISBN13:978-4-06-528396-7 四篇収録のこの小説集には果たしてどれだけの数の「ただの人」が登場していたろうか。数人程度か、いや数十人か。そこで単純にこんな確信めいた感想を抱いた――「ただの人が小説に登場するほど恐ろしい(つまり面白い)ものはないぞ」と。だいたいが二十代から三十代くらい(あるいは子供)の男女で、そこにいるとしかいえないように存在する「ただの人」たちは同時に生活人でもあるから、まずはいまどう生きて働いて日々を送っているかと、現在の境遇こそがすべてだといった方式で物語られていく。彼らを取り巻く世間にしても、ひとまずどこにでもある世間といえそうだ。 印象のみコメントすると、これらの小説に「生活人たる読者」がケチをつけることはできないだろう。筆者の場合、読んでいて何度となく「思わず知らず声が出てしまう」というまれな読書体験となった。例えば表題作「とんこつQ&A」の定食屋で働く(挨拶もろくにできなかった)女性が、破局的展開を迎えそうになるたび「うおおぅ」だのと叫んでいた。 だが一方で、接客中の受け答え方をメモに書くことが習慣となった女性は、特異なコミュニケーションのただなかでとにかく働き続けようとする。かくのごとく小説内の日常の時間はそれらの支障を越えて持続し、たとえ世間的な常識を外れた関係性であっても、生活人たちがそこで共生できるという驚異的現実に打ち震えることになったのだった(さらに余談ながら、いまだに人前で「恐れ入ります」も「かしこまりました」も使えた例がない筆者自身の非常識と劣等感があっさりと引き出された……)。 ところでネーミングの妙のようなものが個々の作品に散りばめられている。二篇目のタイトルが「噓の道」であり、冒頭の話題が小学生「与田正」の噓つきぶりだと知った途端、「とんこつ」式の、ある種むちゃくちゃな人間描写がなされるのではないか、といきなり(タイトルや人名だけで心がざわつくくらい)胸騒ぎを覚える。そしてすぐさまエピソードの奔流に飲み込まれるこの体験は、いわば「ただの人のただの人ぶりが凄まじい」。作品の感触として、ちびまる子ちゃん的世界を描く変化球かと思ったら、のびてくるストレートがズドンとミットに突き刺さっていた――あるいは小学生たちの世間にもどこにでも落とし穴は口を開けており、決定的な一言を口にしたが最後、嫌な予感はどうしてもある深刻な形をとって現実のものとなるのだ(とにかく一度体験を!)。 どの作品も最後までそれらが「ただの人」の物語だと共感的に読める人だったら、苦境に立たされるや「世間に顔向けできない」とかとすぐ焦り出すような登場人物たちの、焦燥感そのものや屈服させられる思いなどを心の底から味わえるはずだ。三篇目「良夫婦」の「良夫婦」は、タイトルがそうであるがために不穏であり、平凡さにおいても特異さにおいても針が振り切れるだろうことがすでに予告されている――読者にこんな思いをさせる作家はまず他に思いつかない(文章も構想力もまったく異なるけれど、なぜか『うわさのベーコン』収録の四作品をほんのり思い出した)。 いい人なのか悪い人なのか、「ただの人」で十分ではないかと思うのは、四篇目「冷えた大根の煮物」で描かれる年配女性のことだ。それというのも、どの収録作の登場人物も「どんな人か」という見極めなどつきそうにない、いかにも文芸作品らしい厚みのある人物描写からは常に外れるような、そんな呼吸で描かれる人たちだからである。加えてその存在の仕方に説得力をもたらすのは、人間のある驚異的な側面に向けられた、著者が発揮する独特の鋭い嗅覚だ。庭先での他所の家の子とのトラブルに半ば関与しながらも徹底的に傍観者の立場を貫く「良夫婦」だなんて! さり気なくも逞しく生きる人たち――たくさんの「ただの人」に出会わせてくれ、ときに居たたまれない気持ちにさせられ、描写の絶妙さに唸るだけでなく驚異的な瞬間を前に「うおおぅ」と何度も叫ばせてもらいまして、どうもありがとうございました。(あおき・じゅんご=小説家)★いまむら・なつこ=作家。著書に『こちらあみ子』(三島由紀夫賞)『あひる』(河合隼雄物語賞)『星の子』(野間文芸新人賞)『むらさきのスカートの女』(芥川賞)など。一九八〇年生。