出来事の多層的な連鎖として再構築する 湯山光俊 / 文筆家・哲学 週刊読書人2022年9月23日号 「19世紀」でわかる世界史講義 著 者:的場昭弘 出版社:日本実業出版社 ISBN13:978-4-534-05932-1 本書はいわば「〈世界史〉の誕生」を扱う書物である。この時、著者は〈世界史〉を限定的な意味を込めて使用している。それは西洋の価値観によって、資本主義を原動力に世界全体をこのシステムに巻き込んでいく過程そのものであり、西欧諸国にとって「非民主的な歴史的に遅れた国の発展を促し、啓蒙するという使命を抱いた(一三頁)」〈世界史〉である。「カント、ヘルダー、ヘーゲル、そしてマルクス」(同頁)と言った哲学者の連なりは、未熟な国家を先進的な国が導くという啓蒙の物語に満ちたものであった。 著者は、この限定的な意味で使用される〈世界史〉がいかにして生まれてきたのかを多面的に検討し、その功罪を見極めながら新しい〈世界史〉を創造しようと試みている。文学や芸術、宗教や民族問題などを並列にアレンジメントしながら、言い換えれば〈啓蒙の誕生〉の仕組みを解体していくのである。 本書は大きく二つに分かれている。第一部は一六世紀から始まり、西欧が世界を呑み込もうとする能力を獲得していく一八世紀までの国民国家の成立を描き、第二部ではついにその能力が発動されてアジア諸国やアフリカを席巻していく一九世紀が分析されている。 まず第一部は、国民国家の誕生の背景を世界史の断片をつなぎ描いていく。その中でも、国民国家が機能するためには物的な条件が必要であると著者は指摘する。それは西欧的な市民社会の形成と資本主義の発展である。そもそも、その二つの要件によって機能し既に作られていた「国家という装置」を君主が操作することをやめ、国民に譲渡するというプロセスなしには国民国家は仮想的なもので終わっていた。同時に現実的な物的要件こそが、国民国家の誕生と共に国境を堅固にし自国の利益を中心に置いて、領土や他民族を排斥強化する原動力になったとも言えるのである。一九世紀までの西欧的な国民国家とは、そうした「民主化」という理念の裏側に別の権力構造を作り上げていったと言えよう。 続いて第二部は、一九世紀において英仏に遅れながら世界各国で産業革命が始まると、それらの国々は国外に対しては独立運動となりナショナリズムが強化され、また同時に国内においては階級闘争として社会主義運動が巻き起こるプロセスが描かれる。いわば位相で国家の「分断の力」と国民の「分断を破壊する力」が、国の外側と内側で同時に働き、双方で影響しながら展開していく。とりわけ一八一五年のインドネシア、タンボラ山の噴火を発端とするその後の世界規模のコレラの蔓延は、深刻な貧困と労働環境に拍車をかけ、国民国家の原動力であった資本主義を病態化させ、労働運動の契機となり〈世界史〉を大きく動かしていく。 マルクス研究者である著者は、もう一つの印象的な本書の見取り図を提示する。それはアジア的専制君主の富の占有を否定して王道の西欧史に囲い込み、アジアを社会主義運動によって啓蒙していこうとする前期マルクスと、ロシアやアジアには西欧中心主義とはまったく別の道があるのだと考える後期マルクスのあいだに「19世紀の〈世界史〉」という装置を置いて、その矛盾を乗り越えていこうとする試みである。 「19世紀の〈世界史〉」という装置は、資本主義そのものが生み出したものである。それゆえ、逆説的に〈世界史〉を巨視的および微視的に重層化させて分析していくことで、資本主義のメカニズムを探ることが可能となると言ってもよい。 〈世界史〉誕生の最初の目論見は、西欧諸国から見た啓蒙の視点にある。ここにアジア諸国やアフリカなどの歴史を並列に置いて能動的に関係づけていく方法によって、〈啓蒙の原理〉を解体し〈世界史〉は再構築されていくことになる。 ゆえに本書は、西欧もアジアも並列に置かれて様々な歴史の局面を多方向から見た出来事の多層的な連鎖として描いている。たとえば十字軍遠征の時代、西欧社会では古代ギリシアの文献もなく万学の祖アリストテレスも忘れ去られていた。イスラム社会では、西洋に先駆け大学が組織されて古代ギリシアの文献が研究され、十字軍がそれを奪うことにより西洋の起源としての古代ギリシアが歴史に移植されるのである。かように明治から輸入された「西欧が主人となる直線的歴史」ではなく、蛇行したり交差したり逆転したりする歴史観によって、出来事はより豊かな実相と潜在力を孕むことになる。 本書は二〇一九年四月から三年間に渡り、神奈川大学市民講座で行われた連続講義の一年目の内容を収録している。今後の続刊で、二〇世紀以降のこうした〈世界史〉がどのように変貌し組み替えられていくのかが読みどころとなっていくだろう。地球上に未だ戦火がたえない渦中にあって、〈世界史〉を考えることはますます広く人々に要請されている。(ゆやま・みつとし=文筆家・哲学)★まとば・あきひろ=神奈川大学教授・社会思想史・マルクス経済学。著書に『超訳「資本論」』『未来のプルードン』『カール・マルクス入門』『最強の思考法「抽象化する力」の講義』『資本主義全史』『一週間de資本論』『マルクスだったらこう考える』『未完のマルクス』など。一九五二年生。