書籍に対する格闘と情熱を知る 森貴志 / 梅花女子大学准教授・編集・出版メディア論 週刊読書人2022年9月30日号 初めて書籍を作った男 アルド・マヌーツィオの生涯 著 者:アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ 出版社:柏書房 ISBN13:978-4-7601-5460-9 思えば、書籍にノンブル(ページ番号)を最初につけた人は誰なのだろう? などと考えたことはこれまでなかった。本文にイタリック体を使うこと、句読点(カンマやピリオド)をつけること、目次や索引を付すこと、小型本(文庫本)という形態で出版すること……。あまりにも自明に存在している記号やルールなども、当然、はじめは誰かがつくったものである。 こういった「発明」は、アルド・マヌーツィオによるものだという。本書はマヌーツィオの生涯を追うものである。出版に対して並々ならぬ熱意をもった、ひとりのイタリア人の一生を描いている。グーテンベルクが印刷の祖であれば、マヌーツィオは「史上初の出版人」であり、出版界に革命を起こした人物である。これまでの出版史というと、特に近代以前は印刷技術に関する記述が中心であった。だが、一六世紀ヴェネツィアにおいて「印刷所」を経営していたとはいえ、企画、編集から、セールス・プロモーションまでをおこなう「出版人」であった彼の業績をたどることによって、現在につながる出版にまつわるさまざまな行為や、もはや暗黙となっているルールについて確認することができる。 まず驚くべきは、マヌーツィオのもつ教養の高さである。マヌーツィオは長年、教師を務め、出版業を始めたときはすでに四〇歳だったが、ラテン語や古代ギリシャ語に長け、初めて出版したのはラテン語の教科書、出版人として最初に手がけたのはギリシャ語の文法書であった。教育活動に役立つ手段を提供しようと、その後もラテン語やギリシャ語の書籍を出版した。人文主義者のネットワークをもち、自ら序文や献辞を書き、著者となることもある。複数の写本を手に入れ、文献学的に正しい版として出版した。知識人でなければ、こういった学術出版はできないだろう。 また、ビジネスの才能もあり、実業家としての側面ももっていた。厳しい資金繰りのなかで、マヌーツィオは出版人としての二〇年のキャリアで、一三二冊の書籍を出した。ベストセラーも生んだ。 いま、出版をとりまく環境は激変している。しかし、このころにマヌーツィオが出版について、書籍について、読書についてさまざまな格闘をしている姿は、現代の出版人に勇気を与えるだろう。マヌーツィオは聖カテリーナの『書簡集』の序文で、「いまは混乱した憂鬱な時代、本よりも武器の使用が普通である時代になった。だが、私はすぐれた本の在庫をじゅうぶん用意するまであきらめない」、「皆が武器ではなく本を手にすれば、虐殺も大罪も卑劣な行為も、無味乾燥な放蕩もあまり目にせずに済むだろう」と述べている。この姿勢は、マヌーツィオの出版に対する情熱だと理解できる。 一方、マヌーツィオの発明したルールが引き継がれなくなってきている事実も指摘できるだろう。メディアが多様化し、出版でオーソドックスであったルールが消え、「出版人」も変容した。長い間続いてきたある種の文化が断絶する(=別の文化が誕生する)、そんな時期にわれわれは生きているという自覚をもつべきだ。 アレッサンドロ・マルツォ・マーニョによる著書は、同じ清水由貴子の翻訳で『そのとき、本が生まれた』(柏書房、二〇一三年)が日本では刊行されている。こちらは一六世紀のヴェネツィアが「本の都」と呼ばれる所以について紹介されている。あわせて読むと、当時の出版をめぐる状況がよくわかり、おすすめである。(清水由貴子訳)(もり・たかし=梅花女子大学准教授・編集・出版メディア論)★アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ=イタリアのジャーナリスト・ライター。週刊誌『ディアーリオ』の海外ニュース担当責任者として約一〇年間活躍した。著書に『そのとき、本が生まれた』『ゴンドラの文化史』など。ミラノ在住。