〈社会的加速〉の循環が生む近代社会のパラドクス 梅村麦生 / 神戸大学大学院人文学研究科講師・理論社会学 週刊読書人2022年9月30日号 加速する社会 近代における時間構造の変容 著 者:ハルトムート・ローザ 出版社:福村出版 ISBN13:978-457-141069-7 本書の中心的な主張は、以下のとおりである。なぜ現代社会に生きる個人にとって、自由に使える時間がますます増えているにもかかわらず、時間がますます〝足りない〟と感じられるようになったのか。その答えは、近代社会が「加速する社会」であることによる。つまり今日におよぶ近代化の過程とは、加速が加速を呼ぶ「社会的加速」が循環する過程であり、その加速の論理は、近代の初めには個人や集団を旧来の制度や構造から解き放つことに寄与したが、現代になると個人や集団、さらには人間をとりまく生態系が今後も存続しうるための基盤そのものを揺るがすものへと転じている。 本書はまず、既存の近代化論で個別に扱われてきたとする四つの契機(合理化、社会分化、個人化、自然の飼いならし)を貫く単一の論理として、「社会的加速」を提起する。「加速」は「単位時間あたりの量の増大」として形式的に定義され、近代社会のもとで生じている「社会的加速」は、「技術・テクノロジーの加速」(生産・輸送・通信の領域における技術革新の加速)、「社会変動の加速」(社会関係や社会制度が変化する速度の加速)、そして個人の「生活テンポの加速」(単位時間あたりの体験エピソードと行為エピソードの増大)という、三つの領域における加速として析出されている。著者によればこの三つの領域での社会的加速は、それぞれ経済成長、社会分化、自己実現の追求という外的な要因によって牽引されつつ、〈技術・テクノロジーの加速が社会変動の加速を促し、社会変動の加速が生活テンポの加速を促し、生活テンポの加速がさらなる技術・テクノロジーの加速を呼び起こす〉という、たがいに強化しあう「加速循環」の三角形を形成している。 さらに著者は、この社会的加速の推進力は一九七〇年頃以降、西側先進諸国を中心に徐々に転換期を迎え、特に一九八〇年頃以降に政治(旧東側諸国の体制転換)、経済(ジャスト・イン・タイムの生産様式と金融改革)、技術(インターネット網とモバイル技術の発展)の三つの領域で同時に革命的な変化が生じることによって、近代社会の基盤を安定的に維持しうる臨界点を超えたと見る。つまり近代社会における加速の第一段階では、旧来の社会関係や社会制度、生活様式が大きく変化しつつも、そのなかで個人は教育、就労、家族形成など多かれ少なかれ共通のライフコースをたどり、それを支える福祉国家的な制度も相まって、安定化に向かう傾向があった。それが加速の第二段階に及ぶと、そのように個人や社会の諸領域を時間的に統合し同期させることが困難になり、さらには生態系の破局の可能性も先鋭化する。ここに及んで個人も集団も自らの姿形を保つためには短い時間のうちに、そのつどの状況に応じた対応が迫られるようになる。 そうすると、近代の初めには個人や集団が自律性を獲得することがひとつのプロジェクトとして推進されていたのに対して、いまや加速の論理そのものが自律化し、個人や集団にとってその場かぎりの状況的アイデンティティ、状況的政治が優位になる。つまり個人や集団にとって、時間の見通しが安定していれば欲しくないはずのものを場当たり的に、しかも自発的に求めなければならなくなる。かくして、個人が自由に使える時間は(平均寿命の伸長、労働時間や家事時間の減少などにともない)かつてないほど増えているにもかかわらず、自らの人生にとって真に重要なことをしてすごすための時間はまったく足りない、と思われるようになる。 こうした逆説的な事態について、著者はポール・ヴィリリオの著作から「超高速静止」と名づけ、ハムスターホイールで上向きに走り続けることや、ジムのルームランナーでランニングを続けること(さらには、ジャグリングの玉を放り投げては受けてを続けること)に喩えている。自らがより速く走ることで、足元がますます速く後ろ向きに動くようになり、その速さに追いつくためにいっそう速く走らなければならなくなる。しかしハムスターホイールやルームランナーの横から見てみると、自らの位置はまったく変わっていない。その速さにもはやついていけなくなると、個人にとっては燃えつきや抑うつの病理が、集団にとっては解体の危機が、さらには肥大化したハムスターホイールやルームランナーの重みできしんだ部屋の崩落が、その裏で迫ってくる。 さて本書は、近代社会論、(後期)近代化論、時間社会学、そして生活時間研究などの調査研究の知見をも幅広く参照し、「社会的加速」の議論を説得的に提起している。ときおり言及される〈マルチタスク〉にとり囲まれた大学教員などの事例や、「地滑りを起こしている急斜面」ほかのメタファーも、本書の内容を豊かなものとしている。もとより著者自ら「折衷的」と呼ぶ本書のアプローチに対して、個別の論点に関する異論は少なからずありうるが、ドイツでの原著の刊行から17年を経て、この間の技術革新や世界規模での危機と、にもかかわらずのこの社会の〝変わらなさ〟とをかんがみるとき、本書のもつ意義はむしろ高まっていると言える。 最後に、社会的加速が個人や社会にもたらす危機に対して著者は、いわば批判理論の伝統にも忠実に、加速をいっそう推進することも減速に転ずることも、等しくこの社会とそこに生きる個人にとって破壊的な帰結をもつものとして退けている。ではどのような対処法を呈示しうるのか。それがまさに、本書以降(『加速と疎外』や『共鳴する世界』)で著者がとりくむ「世界関係の社会学」の課題となっている(その一端は、本書「日本語版への序文」で論及されている)。いずれにせよ、近代社会の時間論と疎外論とを接合させた本書は、著者がのちに「世界関係の社会学」の視点から「よき生の社会学」を提起するうえでも、理論的な礎石となっている。(出口剛司監訳)(うめむら・むぎお=神戸大学大学院人文学研究科講師・理論社会学)★ハルトムート・ローザ=イェーナ大学教授・理論社会学。フライブルク大学で政治学、哲学、ドイツ文学を専攻。アクセル・ホネットの影響下で批判理論を展開し、世界関係の社会学と呼ばれる「共鳴理論」を提唱する。二〇〇六年にチューリンゲン賞受賞。一九六五年生。