民主主義の現状と原理、そして可能性を説く 安中進 / 弘前大学人文社会科学部助教・博士〔政治学〕 週刊読書人2022年10月14日号 民主主義のルールと精神 それはいかにして生き返るのか 著 者:ヤン=ヴェルナー・ミュラー 出版社:みすず書房 ISBN13:978-4-622-09099-1 本書は、『試される民主主義』や『ポピュリズムとは何か』といった訳書で日本でも知られるヤン=ヴェルナー・ミュラーの著作の邦訳である。現在危機に瀕しているとされる民主主義を論じる近年数多く見られる書物のうちの一つである。4章立ての構成となっており、第1章「フェイク民主主義――誰もがそれなりの道理をもっている」においては、ドナルド・トランプを中心とする「ポピュリスト」が民主主義に与える影響を論じている。ポピュリストはメディアを通じて「人民」という言葉を巧みに使い、自分がその意志を見付け出し体現するかのようにして支持を集める。ここに寡頭的な資力や権力をもつ「エリート」が関与し、自分たちに都合の良い政策の実現を図ろうとする。その過程で(しばしば外国の勢力と手を結びがちな)「人民の敵」を名指して分断を助長し、「本物の」という形容詞が付く人々のみが、彼らの体現する「人民」となる。しかし、「人民の敵」を追放したりするような行為は民主主義の平等原理の「最終境界線」内で認められない問題である。 第2章「現実の民主主義――自由、平等、不確実性」においては、民主主義での自由と平等の相克や、不確実性の意義を強調している。人々に平等な政治的、あるいは社会的な権利が与えられるのは重要であるが、自由に政治的な発言を行い、その結果、影響力の平等が、しばしば達成されない可能性は認められている。ルソーは、代議制と民主主義の相性の悪さを指摘したが、著者によれば、野党は選挙に負けても次の選挙までの間に様々な活動をしており、選挙に負ければ終わりというわけでは決してない。政権与党を監視し、意見することにより、政府の政策を変化させられもするのである。こうした機能は、野党の重要性を指し示している。そして、「エリート」の既得権益者を重視する政党は、民主主義の不確実性の中で時たまではあっても敗北しなければならない。人々は常に決まった政治家や政党を支持しているわけではなく、得られる情報によって常に揺れ動く存在である。 第3章「重要なインフラストラクチャー」においては、政党や既存のメディアとインターネットが論じられている。政党やメディアは、「真実」に拘束された主張をしなければならないが、だからといって主観的な負荷なども主張に影響を与えるのが自然である。これらは言論空間における多様性を担うが(外的多元性)、その内部においても多様性を認めなければならず(内的多元性)、外的多元性を保つために必要な一貫性と、内部における多様性を両方確保する難しさがある。こうしたインフラストラクチャーに加えて、近年は、インターネットの隆盛がある。インターネットは政治空間を劇的に変えたが、政治家と密接につながったアプリなどの使用による誤情報や偽情報の氾濫や、個人情報を利用した監視に基づいて、人々の振る舞いを想定可能なものへ導いてしまい、民主主義に重要な不確実性を損なう可能性があるという。 第4章「活動の再開」においては、こうした民主主義の現状における処方箋を提示している。政党やメディアといったインフラは、分け隔てなく幅広いアクセス可能性や自律性が求められ、市民によって評価もされなければならない。ここでは、政党やメディアに対するバウチャー制度による投票のような案が紹介される。また、民主主義は民主主義を破壊するような勢力には、一定の基準をもって対抗する必要があると示唆されている。それはたとえば他者の対等な自由を組織ぐるみで否定するような政治結社である。 本書は必ずしも読み易い本ではない。おそらく訳のせいではなく、書き方自体がそうなのだろうが、意味を取るのに苦労する箇所が少なくない。それでも、現在民主主義に多くの疑問が呈されている中にあって、民主主義を効率化する手法として、テクノロジーの利用などによって意見集約を大規模化するような試みも提案されているが、本書は、民主主義は、そうした単純な集計に留まらない不確実性を伴ったダイナミズムが必要だと度々強調しており、現代の民主主義を理解するにあたって一読の価値があるだろう。(山岡由美訳)(あんなか・すすむ=弘前大学人文社会科学部助教・博士〔政治学〕)★ヤン=ヴェルナー・ミュラー=プリストン大大学ロジャー・ウィリアムズ・ストラウス記念社会科学教授。著書に『ポピュリズムとは何か』など。