歴史の亀裂から聞こえる声に耳を傾ける 川村のどか / 批評家 週刊読書人2022年10月21日号 世界は五反田から始まった 著 者:星野博美 出版社:ゲンロン ISBN13:978-4-907188-45-0 洗濯業、飲食業、運送業、洋服商、酒類商。こう並べられて、何のことだかピンと来る人はいるだろうか。戦中に「不要不急」とされた職業である。僕などは「不要不急」などと言われると、コロナ禍において初めて使われ出した言葉だと錯覚してしまうが、実はその用例は戦中に遡って見つけることができる。当時「不要不急」と見做された人々は、強制的に廃業させられ、従軍するか軍事産業に従事するか、いずれかの選択を強いられた。非情な選択だが、拒否すれば「非国民」である。 緊急事態宣言下の日本には、パチンコ店や酒類の提供がある飲食店を目の敵にし、張り紙などで営業妨害する人々がいた。いわゆる「自粛警察」だ。「不要不急」をお墨付きにしていた彼らにとって、この言葉は誰かを「不要」と見做して排除したがる心性のことでもあった。こうした人々のいる光景と共に、コロナ禍を経験した今なら、戦中の空気を生々しく想像できるだろう。「「不要不急」から「非国民」まで、そんなに距離はない」とは、五反田の歴史にふれた著者の言葉である。 著者の地元、五反田の戸越銀座は、軍需工場の群生する町だった。ここで工場を営んできた祖父は、死の直前に自身の来歴を書き残す。本書はその手記から五反田の歴史を辿る本だが、僕には戸越銀座の隣町、武蔵小山の挿話が印象深かった。軍事産業から溢れた人々の姿が、身に迫るように描かれていたからである。 武蔵小山には、「不要不急」とされた飲食店や酒屋で占められた商店街があった。組合のもと強い結束を固めていた彼らは、戦場でも軍事工場でも足手まといにしかならないという自覚から、満州への開拓団に志願する。本書によれば、一千名を越えるこの荏原開拓団のうち、帰還することができたのは全体の五%。結果的に夥しい死者を出すことになったこの決断は、様々な要因が影響しているものの、時代の空気に大きく背中を押されたものだった。 一九四五年八月九日、ソ連軍が満州へ侵攻する。満州に滞在していた関東軍は早々に退却したため、開拓団は楯を失う。すでに成人男性の大半を徴兵されていた開拓団は、少数の男性と、その数倍の女性や子供で構成されていた。自衛すらままならない状況で、敵に囲われ、銃撃戦に見舞われる。早々に団長が愛馬を撃ち、自決すると、動揺した人々の中からあとを追う者が相次ぐ。遺された副団長も、妻子に毒を飲ませた。この事態について、本書は端的にコメントする。「結束力の強い組織で、一部の幹部が功名心をかきたてられて愛国心を発揮し、住民の判断を狂わせた挙げ句、多くの人が命を失う不幸が、武蔵小山に起きていた」。 開拓団の人々は「悲劇の人たち」と称されることがある。確かに、彼らは関東軍に見捨てられ、時代の空気や浅はかな幹部に煽られた被害者だった。しかし、本書が注意を促すように、彼らは現地住民に犠牲を強いた加害者でもある。一方の視点を欠落させ、開拓団を「悲劇の人たち」とする神話に与することは、日本の被害に焦点を合わせることで、加害から目を逸らし、権力の責任逃れに加担する姿勢であろう。満州開拓において、人は加害と被害が複雑に入り乱れた状態に置かれ、最期には犠牲者として歴史に没していったのだ。まずは、その事実にきちんと耳を澄ませよう。生き残った複数の団員が証言している。集団自決がはじまった際、副団長が「今、娘を殺した。この責任は誰が取るんだ!」と叫んだ、と。責任者当人がそう叫ばずにはいられないようなものが、ここにはあるのだ。それは神話にすることも忘却することもできない、歴史の亀裂である。この亀裂からは、異様な叫び声が今も聞こえる。「不要不急」が囁かれる現代に、それは確実に谺している。 本書が想起する歴史は、「不要不急」を軸に平和な現在の光景を反転させ、人を満州へ追いやる心性が残存する血塗れの今を浮き彫りにする。現在の喫緊の課題を示唆する貴重な一冊である。(かわむら・のどか=批評家)★ほしの・ひろみ=ノンフィクション作家・写真家。著書に『転がる香港に苔は生えない』(第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『コンニャク屋漂流記』(第2回いける本大賞・第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞)、『戸越銀座でつかまえて』『島へ免許を取りに行く』、写真集に『華南体感』『ホンコンフラワー』など。