書評キャンパス―大学生がススメる本― 吉田悠汰 / 二松学舎大学文学部国文学科一年 週刊読書人2022年11月4日号 解説 百人一首 著 者:橋本武 出版社:筑摩書房 ISBN13:978-4-480-09640-1 尾崎豊の名曲『15の夜』には退屈な授業は俺たちの全てではないというある日の若者たちの高らかな宣言がある。この精神が好きだ。実際に盗んだバイクで走り出したりはしないけれど。 著者の橋本武の授業は受けたことがないから「退屈な授業」なのかは知らない。ただし彼が書いた本書は、百人一首の非常に優秀な教科書だ。 本文や詞書、出典だけでなく、品詞分解や現代語訳が充実し、難解な表現には説明をつけ、彼の十八番とされる興味深い脱線もある。例えば藤原公任の拾遺集収録の和歌「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」について和歌の舞台である大覚寺の概論や公任の和歌が基になってこの旧跡に「名古曾の滝」の名がついたという話を紹介している。また公任の和歌に対する姿勢や傾向を指摘したうえで、余禄では公任の概要や大鏡に収録された公任の逸話を簡潔に説明している。また、百人一首の選者である藤原定家の和歌「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ」については、実はこの和歌が昔の和歌を引用した「本歌取り」の技法を用いた歌であることを解説し、万葉集収録の本歌を併置することで読者が読み比べることを可能にしている。二つの歌の詠み味の違い、なぜ定家が再び同じ内容の歌を詠みなおしたのか、なぜそれを自らの一首として百人一首に選定したのかを明快に解き明かす。 さすが伝説の灘高国語教師といった感じがする。読んでいて飽きないし、常に知的好奇心をくすぐられる立派な教科書である。 尾崎豊の話のあとにわざわざ「教科書」と形容したのは分かりやすい皮肉であるが、僕はあくまでこの本を薦めたい。それは、橋本武の中にも尾崎がいるのではないかと思うからだ。その根拠は、百人一首のすべての和歌に一枚ずつ挿入された計百枚のイラストである。 そのイラストの作者は、マンガちゃんという愛称をもった漫画家、永井文明である。彼は灘中灘高、京都大学法学部を卒業したインテリであり、また神戸・水俣病を告発する会やラミ中建設運動などの社会運動にも積極的に参加した活動家であった。 ちなみに橋本武も現筑波大の東京高等師範学校を卒業したインテリであり、橋本武、マンガちゃんともに、校舎裏でタバコをふかしたりはしなかったろう。 しかし、そんな彼の描くイラストはコミカルながら人間の核心や本性を暴くような皮肉っぽさがある。また、体制に対する反骨があり、良いところも嫌なところも隠さないから、情感溢れる人間くささがある。絵柄もどことなくフォークソングを彷彿とさせる。特徴からしてまったく教科書らしくないイラストである。 橋本武はこのイラストを、自分の和歌のイメージからさらに飛躍していて、手の届かないところにあると評し、古典の現代的解釈であるとしている。 そんなイラストが掲載されたこの本は、『15の夜』の「落書きの教科書」そのものである。 橋本武によるマンガちゃんの人選は、本作りに際しての、「落書きの教科書」的意識の現れだと思う。橋本武のきっちりとした真面目さと、マンガちゃんの軽妙な筆使いがこの本のバランスを保って、読者層を大幅に広げているのではないか。 授業や教科書、入門書は何かをわからせるためにある。ただこの本に関してだけは、「和歌なんてワカランなぁ」というふうに読み進めるのでも、僕は良いと思う。あの夜は、ちっぽけで意味のない、無力な夜ではないのだから。(永井文明絵)★よしだ・ゆうた=二松学舎大学文学部国文学科一年。フォークソングや歌謡曲などの昭和の歌は万葉から中世までの和歌、近世からの俳句、明治期の唱歌から影響を受けているものが多く、大和言葉を重んじている点で関心があります。