よみがえる女性社会運動家・労働者の一生 柳原恵 / 立命館大学准教授・ジェンダー研究 週刊読書人2022年11月11日号 しかし語らねばならない 女・底辺・社会運動 著 者:郡山吉江 出版社:共和国 ISBN13:978-4-907-98690-2 鮮烈な色彩が飛び込んでくる。カバーに咲き乱れるのはダリアの花だ。あでやかな花弁と、「底辺」「反権力」「日雇労働者」という単語が持つ語感との落差に意表を突かれる。七〇年代、リブ運動を牽引した田中美津が郡山吉江へ寄せた追悼文が本書に収録されている。「郡山さん、あなたやあたしみたいな女は、あたり前の女になろうとしたって、なり切れるハズのない、そういう〝生まれつき〟だったんだから、ダリアみたいな明るさで、安心して当たり前の女を目指してもよかったんだよ」(三〇二頁)。本書の装丁はこの追悼文に着想を得たのだろうかと想像する。「ダリアみたいな明るさで」「当たり前の女」としては生き(られ)ず、日雇労働と国家権力に対する闘いに生涯を捧げた、ひとりの女への供花だ。 郡山吉江(一九〇七―八三)は仙台市の没落士族の家系に生まれた。童話雑誌の同人となり、プロレタリア詩運動のなかでのちの夫となる詩人・郡山弘史と出会う。一九三一年に上京、四五年の敗戦後、仙台で日本共産党に入党するもその後除名される。四八年に再び上京、以降「にこよん」(失対事業で就労する日雇労働者)として家計を支える。六〇年代後半よりリブ運動、救援運動や三里塚闘争など様々な社会運動に参画した。晩年、三冊の著作(『三里塚野戦病院日記』一九七九年、『冬の雑草』一九八〇年、『ニコヨン歳時記』一九八三年)を上梓したが、今日、広く知られた人物とは言い難い。 時代の変化とともに忘れられつつある郡山の文章のうち、社会運動の機関紙や雑誌に掲載されたものを中心に編まれたのが本書である。郡山の問題意識は多岐にわたるが、特に評者の関心を惹いたのが第Ⅰ部「にこよん女の手記」に収められた文章群である。あるエッセイでは「一般社会から(…)べっ視された私たちにこよん」の持つ「性の意識」(五三頁)をヴィヴィッドに記録し、別のエッセイでは「わかめおばさん」と呼ばれた、ある「にこよん女」の壮絶な半生に肉薄する。女が独力で子を産み育てる辛苦、理不尽な暴力、頑強な身体とおおらかなエロス。「底辺」に生きる女の経験と精神性を観察し、つぶさに描き出すその筆致は、炭坑労働者の精神世界を記録した森崎和江や、郡山と同じ宮城出身で東北の農婦へ聞き書きした石川純子の仕事を彷彿とさせる。しかし森崎や石川があくまでも「知識人」の立ち位置から炭鉱労働者や農婦を描いたのに対し、郡山は日雇労働の現場に字義通り立脚しつつ、都市の発展を下支えしながらも時代から忘れ去られた女たちを内側から描いた。その観察眼と筆力、精神力に驚嘆する。 本書は版元である「共和国」下平尾直代表の、郡山の歩みと闘いをたどることが「この世界を底辺から考えることになる」(三〇七頁、強調原文)という強い思いから生まれた。現代に甦った郡山を、私たちはどのように読むのだろうか。当然、読者の問題関心により多様な読まれ方が可能であろうが、例えば同じ日雇労働者でも男女で賃金格差があり、女性は進駐軍の残飯で作る一杯一〇円のシチューすらあまり注文できなかったこと、あくまでも一時的な失業対策であったにも関わらず、男性に比べ再就職が困難な女性ばかりが「にこよん」のまま留まる状況などは、コロナ禍における「貧困の女性化」の問題と通底しよう。 本書に収録された文章の出典を見るとわかる通り、女性史家もろさわようこの編んだ『ドキュメント 女の百年』シリーズや、リブの代表的雑誌『女・エロス』、思想誌『思想の科学』等が初出となる文章も多く、郡山は同時代的には一定以上の評価を受けていたことがうかがえる。その郡山がなぜ忘れ去られてしまったのか。本書は、ともすると都市部中産階級を中心に描かれがちな、日本のフェミニズムを再考するための得難い資料でもある。ダリアのような鮮烈な本書とともに、私たちは郡山吉江を再び記憶しなければならない。(やなぎわら・めぐみ=立命館大学准教授・ジェンダー研究)★こおりやま・よしえ=社会運動家(一九〇七―八三)。著書に『ニコヨン歳時記』『冬の雑草』『三里塚野戦病院日記』編著に『郡山弘史・詩と詩論』など。