恐怖や嫌悪をもたらす〈怪物〉のパラドックス 森口大地 / 関西学院大学非常勤講師・ドイツ文学・ヴァンパイア研究 週刊読書人2022年11月18日号 ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス 著 者:ノエル・キャロル 出版社:フィルムアート社 ISBN13:978-4-8459-1920-8 黒を基調としたカバーとえんじ色の見返しが美しい本書は、分析哲学・分析美学の大御所ノエル・キャロルによるThe Philosophy of Horror : Or, Paradoxes of the Heart(1990)の全訳である。その題が示す通り、キャロルは、「ホラー」という感情について包括的な理論を打ちたてようという、大胆かつ非常に興味深い試みを企てている。ホラーといっても何でもありというわけではなく、ここでは、彼が「アートホラー」と定義するものが対象となる。また、アートホラーの包括的理論を検討していくうえで、①どうして我々は現実に実在しないとわかっているものを恐れるのか(「フィクションのパラドックス」)、②本来なら避けるであろうホラーという感情をどうして我々は求めるのか(「ホラーのパラドックス」)、という心に関する二つのParadox“es”への解答が提出される。大まかな見取り図を述べると、一章ではアートホラーの定義、二章ではフィクションのパラドックスが扱われる。三章では幻想文学論でおなじみのツヴェタン・トドロフによる「幻想(the Fantastic)」を参照しつつ、ホラーものに特徴的なプロット構造が論じられ、最後の四章においてホラーのパラドックスへの解決策が提示される。 キャロルは、まずホラーを「ナチュラルホラー」と「アートホラー」に分類する。「ナチュラルホラー」というのは、例えば「ロシアによるウクライナ侵攻は恐ろしい」だとか、「自然災害は恐ろしい」という意味での、現実の出来事などへの恐怖を指す。一方で、「アートホラー」――「人工的恐怖」ないし「芸術上の恐怖」と訳してもよさそうだ――は、主に芸術作品を鑑賞する際に生みだされる恐怖を指す(「〔…〕日常言語でもその存在がすでに認知されている芸術横断・メディア横断のジャンルの名前としての「ホラー」〔…〕」(39頁))。アートホラーにおいてキャロルが重視するのは、恐怖や嫌悪、そして、それらをもたらす怪物である(キャロルは「出来事をアートホラーの主要な対象とは考えていない」(92頁)が、この観点はサスペンスとホラーの区別を論ずる際に効いてくる)。この怪物は、①超自然的で、②我々に危害を加えようとする、③嫌悪や忌避感を催させる「不浄な」(メアリー・ダグラス)存在でなければならない。 詳細は本書を読んでいただくとして、ここでキャロルの議論の核と思われるポイントを簡単に紹介しておこう。フィクションのパラドックスは「思考説」によって説明される。これまでの「錯覚説」(我々はホラーものを本物だとみなして怖がっているとする)や「フリ説」(我々はホラーものを怖がるフリをしているだけだとする)と異なり、「思考説」とは、恐怖の対象について「思考する」(日常語としての思考とは少し異なる)だけで恐怖が引き起こされうるというものだ。ホラーのパラドックスは、ホラーものは「複合的発見型プロット」を特徴とし、好奇心を刺激して、最後にそれを満たすことによって快を与えるという考え方と、恐怖や不快感はその快を得るための代償であるという考え方によって解決される。ただし、快を与えるのはプロットだけでなく、怪物それ自体も、好奇心を刺激し快を与える。こうして、ホラーものと、例えばディザスターものやスリラーものが区別される。 キャロルの考察は非常に論理的かつ明晰であり、単語一つとっても厳密に意味が限定されている。自分の説を単に根拠づけて主張するだけでなく、想定される反論をも吟味し、議論を徹底的に突き詰める姿勢が目立つ。そのため、ややもすれば冗長で「〔…〕読み飛ばさないにしても、さっと目を通すだけにしたいと思うかもしれない」(31頁)。しかし、この冗長さは、とりもなおさず学問上の誠実さの表れと言えよう。高田敦史による翻訳は読みやすく、膨大で詳細な注が――訳注も――充実していることも含め、キャロル自身の説明も丁寧であるため、いくぶん専門的な箇所であっても、じっくり読めば理解できないことはない。ホラーの仕組みについて考えてみたい一般の方にも、お薦めできる。ところどころに要約が設けられているので、そこだけを拾い読みしても大筋の理解は可能であろう。それでもわかりづらいという場合は、訳者解説でも紹介されている戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』(NHK出版)を併せて読まれたい。こちらは、キャロルの説に全面的に賛成してはいない――例えば、ホラーという感情を結局は否定的に評価しているなど――ものの、その有効性を認めつつ、意識の問題からアプローチすることで改良を試みている。語り口も軽妙で読みやすい。 キャロルの『ホラーの哲学』の原書は三〇年以上も前に出版されたが、包括的理論の構築を試みているだけあって、今でも通用する部分は多いだろう。もちろん、批判すべき点も見つかるだろうが、ホラーを論ずる際にたたき台となる議論を提供しているという点で、価値は高い。キャロル自身が断っているように、ホラー全般ではなく、一部のホラーにのみ当てはまるような理論を彼は否定していない(418頁)。キャロルの説をもとに、特定のホラーについての理論を発展させることもまた、本書の活用方法として適切だと考えられる。『ホラーの哲学』は、その名の通り、近年、また盛り上がりを見せているホラーについて「哲学する」よい機会を提供してくれるだろう。(高田 敦史訳)(もりぐち・だいち=関西学院大学非常勤講師・ドイツ文学・ヴァンパイア研究)★ノエル・キャロル=アメリカの哲学者・美学者。ニューヨーク市立大学大学院卓越教授。一九四七年生。