世界史全体への問いかけを促し、思考を刺激する 永岑三千輝 / 横浜市立大学名誉教授・ドイツ現代史 週刊読書人2022年11月18日号 分断の克服 1989-1990 統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦 著 者:板橋拓己 出版社:中央公論新社 ISBN13:978-4-12-110129-7 一九八九年一一月九日、ベルリンの壁崩壊は現代マスメディアの映像で世界中に拡散された。壁の上の民衆のあふれ出る喜びは強烈だった。ベルリン・フンボルト大学社会史講座教授ハルトムート・ケルブレは当時を回顧して「自分もあのとき壁の上によじ登って歓呼の声を上げた一人だ」と翻訳者に吐露した。「ハンガリーの国境開放」、「プラハ大使館への難民殺到」などが「不意打ち」の壁開放を引き起こした。 壁崩壊は、ゴルバチョフの登場、ペレストロイカとグラスノスチによるソ連の民主的変革の波、ソ連「国家の解体」(塩川伸明)に向かう全体状況の中で起きた。先立つ、あるいはそれに呼応するポーランドをはじめとする東欧諸国の民主化と自立化の波、独立運動の進展、これらもドイツ統一を促進する要因となった。 だが、ソ連東欧の変化がドイツ統一に帰結するとは、当初だれが予測しえたか。平和的な東西ドイツの統合など予測した人は皆無に近かったというのが本当であろう。分断国家ベトナムの統一は長期にわたる民族解放闘争・ベトナム戦争の結果であった。ベトナムの勝利、アメリカの敗北による戦争終結はやっと一九七五年のことであった。朝鮮半島の分断国家は今日まで統一など「夢」。米中対立のはざまでむしろ困難になりつつある。 ところがドイツの場合、壁崩壊後、一年たたないうちに西ドイツが東ドイツを吸収する形で「統一」が実現した。なぜ、このような形で短期間に、しかも平和的に「統一」が可能だったのか。まさにこの大問題に関する実証的水準の高い――しかも平明で説得的な――ひとつの答えが本書である。 壁の崩壊は世界史的大事件である。それを可能にした諸要因はある意味で世界史総体にある。一冊の本で主要な要因を網羅できないことはいうまでもない。本書の限定的課題は、ゲンシャー外務大臣(FDP党首)と外務省の果たした役割を摘出し、これまでのコール首相(CDU党首)中心史観を修正すること。しかし、具体的叙述は世界史全体への問いを促す素材に満ち、思考を刺激するひろがりをもっている。 これを可能にしたのは、「三〇年非公開原則」を度外視して解禁されてきた膨大な外交文書である。わが国では未開拓のドイツ外務省文書を丹念に追跡し、ゲンシャー外相独自の――コールと時に対立し、両者の激しいぶつかり合いも含む――役割を実証した。それを通じて統一における彼の貢献を適正に位置づけた。直接一次史料を渉猟しているだけに、叙述は具体的かつ明快である。迫力に富む叙述が多く、わくわくしながら全体を読了できた。 ロシアのウクライナ侵略戦争との関係で、本書でもっとも注目を集める章は、「第4章 冷戦後の欧州安全保障問題――NATOは拡大するか」、「第5章 『制約なき完全な主権』の追求――対ソ交渉という核心」であろう。そして、ウクライナ戦争で改めて深刻になった領土問題を考えるうえでは、「第6章『オーデル・ナイセ線』をめぐる攻防――国境問題の解決」が必読となろう。 壁崩壊の数か月後の東ドイツと東欧の民衆の自由と民主主義を求める世論・運動の広がり、その大きな波に乗り、両ドイツの統一を直ちに実現しようとする潮流の強大化、東ドイツ政権党の無力化、その帰結としての東ドイツ人民議会選挙における「ドイツのための同盟」の圧勝。この奔流を前にして、ゴルバチョフもドイツ統一は認めざるを得ないことに同意した。七月からは通貨統合で経済的統合が進展した。 だが、ゴルバチョフは、東ドイツ領域にNATOが拡大するのは到底容認できなかった。統一ドイツの「中立」がゴルバチョフ、シェワルナゼの基本原則であった。対して、コールとゲンシャーの要求は、あくまでも統一ドイツの完全な主権であった。ある国が同盟に入るも入らないも、主権者が決定するのだと。このスリルに満ちたせめぎあいの中で、イギリス、フランスを巻き込みながら、事態は展開した。 あえて一点だけポイントを紹介すれば、その間のワルシャワ条約機構の変容と解体、それに続くNATOの転換・変容が重要であろう。敵対視からパートナー関係への転換である。波乱に富む展開の単純化した紹介は本書の醍醐味を損傷してしまう。ぜひ本書を手に取って、丹念に追跡していただきたい。提示される史実は次から次に問いを喚起し、自分の頭で考えることを求める。高校新科目「歴史総合」のサブテキストとしても活用されるべきものだろう。 とりわけ新鮮で印象的だったのはゲンシャーの能動的行動を支える原則であった。それは、一九七五年のヘルシンキ最終文書であり、「これがドイツの同盟選択権をソ連に認めさせる梃子となった」。それがまた全ヨーロッパ的な安全保障構造を構築するための軍縮推進と全欧安全保障協力会議(CSCE)制度化を打ち上げたNATOロンドン宣言(九〇年七月)の土台となったのだ。(ながみね・みちてる=横浜市立大学名誉教授・ドイツ現代史)★いたばし・たくみ=東京大学大学院法学政治学研究科教授・国際政治史・ヨーロッパ政治史。著書に『中欧の模索』『アデナウアー』『黒いヨーロッパ』など。一九七八年生。