聞く/聞いてもらうの不可分な関係 北條一浩 / ライター・編集者 週刊読書人2022年11月25日号 聞く技術 聞いてもらう技術 著 者:東畑開人 出版社:筑摩書房 ISBN13:978-4-480-07509-3 今年読んだなかで、最も読めてよかったと痛感した本である。驚くべき知見がもたらされたというより、すぐそこにありながら気づかずにいたものについて、通りすがりの人から「ほら、そこ」と教えてもらったような。 ライターや編集を生業とする身として、「聞く」ことについては常にあれこれ考えてきたつもりだった。特に近年、自分の周囲でもやたらに話したがる人、自説を開陳したがる人が多いのに対し、「聞く」人ってなんて少ないんだろう、とイライラする気持ちもあった。だから自分は聞き上手をめざそうと。 でも、全然わかってなかった。たくさん話す人、あれはある種の悲鳴だったんだ。そして聞き上手な人は、満ち足りた人なんだ。そのことが本書を読んで初めてわかった。 ネタばらしにはならないだろうから書いてしまうと、この本が提示する根幹は、「聞くことができるようになるためには、まず自分が聞いてもらうこと」という考えである。人の話を聞く、聞くことができるというのは、ゆとりのある人、ゆとりのある状態であって、そのゆとりは自分の話を聞いてもらうことによってもたらされる。「聞く」と「聞いてもらう」は不可分であり、自分が聞いてもらってないのに人の話ばかり聞くことはできないし、話してばかりではいつになっても人の話が聞けるようにはならない。 本書はタイトルどおり、それができるようになるための「技術」を教えてくれるわけだが、ユニークなのは、技術の解説に終始したハウツー本でもなければ、「ハウツーなんかじゃない、もっとちゃんとした理論書である」という上から目線とも無縁なこと。それをよく表すのが「小手先」という形容だ。この本では、「聞く技術」のほうなら「返事は遅く」「奥義オウム返し」「なにも思い浮かばないときは質問しよう」など、「聞いてもらう技術」では「隣の席に座ろう」「単純作業を一緒にしよう」「ワケありげな顔をしよう」などなど、明日にでも使いたくなる極めて具体的・実践的な技術がたくさん書かれている。それらは即戦力だから書かれるわけだが、同時にこの技術が「小手先」と呼ばれているのは、そうした技術にも限界があり(「聞く技術」のほうで言えば、それは余裕のある時しか使えないという)、その先まで行くために、そもそも「聞く」行為とはなんだろうか、ということについての深い考察がなされている。 本書の体裁、いわば書物としての「技術」にも触れておきたい。少々マニアックな話になってしまうが、ちくま新書は通常、1ページ15行で編集されている。ところが本書は14行になっている。1行少ない。それだけ?と思われるかもしれないが、この1行が大きい。15行と14行では、行間が歴然と違うのである。非常に読みやすい。さらに、まるでこまめに呼吸をするかのように、少し書いては随所に1行アキを挿入しているから、文字列で圧倒されるということがまったくない。これはラクである。「読んでもらう」技術のすばらしき「小手先」が助けてくれる。(ほうじょう・かずひろ=ライター・編集者)★とうはた・かいと=臨床心理士・臨床心理学・精神分析・医療人類学。白金高輪カウンセリングルーム主宰。著書に『野の医者は笑う』『居るのはつらいよ』(第19回大佛次郎論壇賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞受賞)『心はどこへ消えた?』『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』など。一九八三年生。