父/娘の関係から女性作家九人の歩みを振り返る 松岡瑛理 / ライター 週刊読書人2022年12月16日号 この父ありて 娘たちの歳月 著 者:梯久美子 出版社:文藝春秋 ISBN13:978-4-16-391609-5 一九〇〇年代前半に生まれた九人の女性作家の歩みを、父親との関係に軸足を置いて振り返った評伝だ。「母と娘」、あるいは「父と息子」の関係をテーマとした作品は多くあるが、「父と娘」という組み合わせに着目したものは珍しい。一体なぜ「父娘」なのか。小説、詩、歌とジャンルに違いはあれど、本書に登場する女性たちは皆、「書く」ことを生業にしている。かたちは様々だが、そこには父親の存在が色濃く影響していると著者は読み解く。 顕著なのは、父親自身が編集者や作家であったケースだ。とは言っても、それは「父が作家だから同じ道を選んだ」といった単純なものではない。父との関係に何らかの課題や葛藤が生じており、それらを乗り越えるため、結果として「作家」という職業が選ばれていることが多い。 詩人・萩原朔太郎の娘である萩原葉子は、八歳の時に両親が離婚し、父の故郷である前橋市で幼少時代を過ごした。当時の朔太郎は子どもを置いて単身で上京することもあり、わが子に関心を示すことは少なかった。母親代わりの存在だった養母からも厄介者扱いされていた葉子が唯一の楽しみにしていたのが、朔太郎の書斎から小説を持ち出し、感想をノートに綴ること。ある時、ノートを父に見せる機会があったが、父親が口にした感想は「当っている」の一言だった。「何故(小説)を読むのか、私の心のうちを、聞いてもらいたかった。父上の眼がふし穴というのは、そこなのです」と後に葉子は回想している。朔太郎の死後、エッセイや小説を書き始めるようになった葉子は「父親の犠牲者」として生まれた日々を書き綴った自伝的小説「蕁麻の家」で女流文学賞を受賞。もっとも辛かった日々の記憶を作品に昇華させることを通じ、作家としての地位を築き上げた。 戦艦「大和」の生存者や遺族たちへの聞き取りをもとにしたノンフィクション『男たちの大和』などの作品で知られる辺見じゅんもまた、角川書店の創業者で歌人でもあった父・角川源義の存在を生涯意識し続けた作家だった。 二五歳の時、『花冷え』という小説を刊行したじゅんは、父親に「もっと人生を知ってから書きなさい」と一喝され、以来、小説を書くことをやめてしまう。それでも書くことを諦め切れず、父の死後、全国各地を訪れ、聞き書きを行うようになった。行先のほとんどは父が生前訪れた場所で、「父との同行二人の旅だった」と後に回想している。書くという行為に再び向き合い始めたじゅんが、初のノンフィクション作品『呪われたシルク・ロード』を刊行したのは三六歳の時のこと。処女作の発表から、実に一一年もの歳月が経っていた。 一方、文学とは無縁の世界に身を置く父の存在が、作家としての視座に影響を及ぼしたケースもある。石牟礼道子の父親、白石亀太郎は、熊本県水俣で道路造りの事業を手がける石工だった。亀太郎は自らの仕事について「この世の土台をつくる仕事ぞ」と道子に語って聞かせ、家業が破綻した時には廃材を使って自ら家を建てた。生活に軸足を置く父親を道子は「生涯にわたる倫理の指標」とし、自身もまた、名もなき市井の人々に視線を向けた。一九五九年、入院していた息子の看病のため水俣市立病院を訪れた道子は、チッソへの団交申し込みのため漁民らが病院前に集結していた場面に遭遇したことがきっかけで、水俣病が頻発する地区に通い始める。その後、水俣病患者の視線に軸足を置いて、代表作『苦海浄土 わが水俣病』を書き上げた。 自身を育んだ父親の存在を内面化しながらも、一方では客体化する行為を繰り返し、作家としてのアイデンティティを確立していった彼女たち。女性が「家庭」から「社会」へと活動拠点を広げていった当時の社会で、彼女らが乗り越えていったのは実の父親のみならず、父という存在を生んだ時代の枠組みそのものでもあった。家庭という一見私的な空間のなかに、時代転換のダイナミズムを感じる稀有な一冊。(まつおか・えり=ライター)★かけはし・くみこ=ノンフィクション作家。著書に『狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ』『原民喜 死と愛と孤独の肖像』『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』など。一九六一年生。