環境危機の時代に必要な内陸アラスカの知恵 古川不可知 / 九州大学大学院比較社会文化研究院講師・文化人類学 週刊読書人2022年12月16日号 犬に話しかけてはいけない 内陸アラスカのマルチスピーシーズ民族誌 著 者:近藤祉秋 出版社:慶應義塾大学出版会 ISBN13:978-4-7664-2845-2 本書はマルチスピーシーズ民族誌と呼ばれる新しい人類学の潮流を背景に、内陸アラスカ先住民の人々とさまざまな動物たちとの関わりを描き出す一冊である。何気なく本書を手に取った読者は、まずその魅力的な表紙に目を奪われることだろう。「犬に話しかけてはいけない」なる不思議な文字列の上には、無数の動物たちが一つの流れとしてつながる淡い色使いの絵が配置されているのだ。 全体は雨雲をめぐる印象的な記述から始まる。先住民の友人と船で川を遡航している際に雨雲を目にした著者は、「雨が降るかもしれない」と何気なく友人に告げる。そして実際に雨が降ると、友人から「君が雨を呼び寄せた」と叱られたのだという。ここでは雲は人間の言葉を理解でき、著者の声を聞いて近づいてきたのである。 本書は全八章から構成されており、最初の二章はマルチスピーシーズ民族誌の概説と調査地である内陸アラスカの紹介にあてられる。続く六つの章ではそれぞれ、ワタリガラス、犬、ビーバー、鳥、カリブー、コウモリという動物種と人々との関わりが具体的に論じられる。アラスカの大地で自ら白鳥を撃ち、ヤマアラシを仕留める著者は、人間も動物も土地も含み込んだ明確な境界のない絡まりあいの中で、さまざまな存在者たちとの交渉へと開かれ、否応なく相互浸透しあう自らを発見し、多種とともに生きる術を学んでゆく。書名は犬に人間の言葉で語りかけると災厄をもたらすという内陸アラスカの観念から取られており、これは犬と人間とのあいだの容易に乗り越えられうる境界を維持するための知恵なのだと著者は指摘する。 人間だけが言葉を解するというのは、私たちの「常識」である。そしてそのような知性を持つ人間こそ動植物を利用し、自然を保護する主体であるとみなされてきた。従来の人類学が主たる考察の対象としてきたのもまた人間の文化社会であり、動物や植物、大地や天候といったものたちは背景へと退けられてきた。だが人間だけが自然を超越し、それを管理する権利を持つという傲慢な態度が地球規模のさまざまな危機を引き起こす原因となったことは、周知のとおりである。いま求められているのは本書のように、現地の人々や動物たちの声へと謙虚に耳を澄まし、あくまでも世界の内に位置付けられた一存在として「人間を超えたコミュニティの参与観察」をおこなう態度なのである。 最先端の議論を扱っていながらその筆致は柔らかく、文化人類学になじみのない読者でも読み物として十分に楽しむことができるだろう。また、第一章の議論はマルチスピーシーズ民族誌と関連領域のブックガイドとしても有用であり、この分野に関心を抱いた読者にとっては格好の入門となるはずだ。 他方で専門的な読者にとっても、環境人文学や人新世の議論との対話を通して環境保護思想やマルチスピーシーズ民族誌それ自体の批判的な更新も試みる本書は喚起的な一冊であろう。自然とのつながりの回復を志向する環境保護の言説を批判しつつ、存在の前提として常に「自然」と混ざり続けている私たちにとっては、「構いすぎない」こと、むしろ息をひそめることこそ重要であると説くくだりなどは、「保護」という発想に依然として潜む人間の特別視に切実な反省を迫る。 実のところこの分野にさほど明るくない評者には、「種」とは誰から見ての種であるのか、強大なアメリカ国家や国立公園などの制度と人々の生活とはいかに関わるのか、またマルチスピーシーズ民族誌と動物を扱ってきたこれまでの民族誌研究とでは「民族誌」記述として何が本質的に異なるのかなど、いくつか確認してみたい点はある。とはいえこうした諸点は、本書中で予告されている博士論文の書籍化によってさらに十全に論じられるのであろう。諸存在と絡みあいつつ「ともになる」マルチスピーシーズ民族誌の生成変化に、読者はすでに否応なく巻き込まれているのだ。(ふるかわ・ふかち=九州大学大学院比較社会文化研究院講師・文化人類学)★こんどう・しあき=神戸大学大学院国際文化学研究科講師・文化人類学・アラスカ先住民研究。共編著に『モア・ザン・ヒューマン マルチスピーシーズ人類学と環境人文学』『食う、食われる、食いあう マルチスピーシーズ民族誌の思考』など。