時間、心、謎を鮮やかに解く物語 佐藤飛美 / 在野研究者・英文学 週刊読書人2023年1月6日号 君といた日の続き 著 者:辻堂ゆめ 出版社:新潮社 ISBN13:978-4-10-354791-4 消化できない悩みを抱え、苦しい人へ。 犬も歩けば棒に当たる――世界の理だ。行動なくしてチャンスを得ることはできない。あるいは旧来の意で、行動すれば、思わぬ災難に遭うかもしれない。コロナの猛威により行動を制限されるもどかしさを経験した私たちは、この真理をその身で思い知るとともに、常に究極の賭けをしている。扉の外に出て足で幸運を摑みに行くか、扉を閉めるタイミングを間違えて災厄を内に招き入れてしまうか。扉の開閉に関する正解が分からない以上、内にこもるという消極的選択をする人もいることだろう。 また、扉を積極的に開くわけではないのに、勝手に内に上がり込んでくる災難というものがある。例えば、自然災害や病気だ。扉を閉めるタイミングに失敗して痛い思いをした人や、一方的にやってきた困難に打ちのめされた人が、扉を閉め切ってしまいたくなる心情は想像に難くない。本書の主人公がその一人だ。外への扉を一度閉ざしてしまった人はどうしたら再び扉を開けられるだろうか。この人生の難題への答えを探す小説である。 舞台となるのは、二〇二一年の神奈川県。四七歳の友永譲は、リモートワークを言い訳に独りきりで巣ごもり生活をしている。一〇歳の一人娘を病気で亡くし、それをきっかけに妻との関係も立ち行かなくなってしまったのだ。七月半ばの梅雨のある日、彼はずぶ濡れの迷子らしき少女に声をかける。 小学四年生の少女〈ちぃ子〉は、本名や迷子の経緯を含めた記憶のほとんどが曖昧で、どうも一九八〇年代からタイムスリップしてきたらしい。再度降り始めた雨によって選択肢を失った譲は、警察に行きたがらないこの子どもを自宅に招き入れ、擬似父娘として思い出を作ろうという彼女の提案を受け入れる。 ちぃ子はなぜ過去から現代にやってきたのか。一体何者なのか。また、譲にとって、彼女は幸運なのか、災難なのか。 譲は、扉を閉ざした人物だ。娘を亡くした痛みを受け止めきれず、整理できず、心の扉を閉めるかのように妻と離婚した。そんな彼の過去への視点を一口に言えば、曇り空だ。視界が狭く、暗く、抜け出せない迷路を彷徨い続けているような息苦しさがある。悪い天候下で人生を運転するのは危なっかしいというもの。実際、目の前の放っておけない子どもとリスクが天秤にかかった状況で、前者を優先する主人公に読者はヒヤヒヤさせられるわけだが、彼の選択は性格うんぬんよりも判断力の低下を窺わせる。 一方のちぃ子は、扉の内側に入る人物だ。目立つのはその〝芸風〟。正直なところ、一九八〇年代からやってきた少女の感覚が、世界観が、流行が、バブルが弾けて生まれた評者には絶妙に分からなかった。「ガビーン」「めんご」「バタンキュー」といった、懐かしいリアクションをする無邪気な少女が、Z世代にとっての昭和バブル期の伝道師・平野ノラ的な存在に見えてくる。 とは言え、どんなにノリは昭和でも、子どもは子ども。『北風と太陽』でいう太陽のごとく、自然に扉を開かせるのにこれほど適した人物もいないだろう。悩みを抱えた巣ごもり民が、準備運動なしに、気力と体力オバケの子どもに足並みを揃えようと思ったら、どれだけ健全に疲れることか。 謎解きが肝の作品ゆえ、扉の開き具合に苦戦している本稿だが、さすがに立ち入れない、鍵のかかった扉がある。著者が仕掛けた特殊な扉である。一読者としては、いつの間にか扉を開いていて、いつの間にか握りしめる手札が増えていて、いつの間にか辻堂ゆめの鮮やかな一人勝ちカードパターンの流れに乗っていた、という心持ちである。コロナにより、物理的に扉を閉めることが、心理的にも扉を閉じることに繫がると学んだ後だからこそ、対岸の火事とも言い切れない譲の物語を最後まで駆け足で見届けたくなると思う。 絡まった時間が、心が、謎が、解けていく物語だ。(さとう・あすみ=在野研究者・英文学)★つじどう・ゆめ=作家。著書に『いなくなった私へ』『あなたのいない記憶』『悪女の品格』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『十の輪をくぐる』『トリカゴ』『二重らせんのスイッチ』など。一九九二年生。