国民国家という表層に隠れた近代日本の深層 崎島達矢 / 東京大学大学院人文社会系研究科助教・日本近現代史 週刊読書人2023年1月6日号 港町巡礼 海洋国家日本の近代 著 者:稲吉晃 出版社:吉田書店 ISBN13:978-4-910590-07-3 ドラマや映画・アニメなどの舞台となった場所をファン達が「聖地」と呼び、その地を巡り憧憬して楽しむことを「聖地巡礼」と言う。宗教上の聖地を参詣するという意味の言葉から転じて、今や一般的な言葉となった。『港町巡礼』は、港に魅了された著者が港への愛情と学識をもって私たちを選りすぐりの港へ連れて行く聖地巡礼ツアーである。ツアーのテーマは「海洋国家日本の近代」。著者は、船舶が停泊し貨物を積み下ろす場所を「港」、グローバルな貿易都市からローカルの漁師町までを含めた港のある地域を「港町」と定義し、一章につき一港町、合計一五の港町に案内しながら日本の近代史を追っていく。 各章は現在見ることのできる港町の名所、モニュメント、施設等の説明から始まり、章のテーマが導かれる。「本書は個々の港町や港湾修築の歴史そのものをたどることを目的としたものではない」(ⅲ頁)とあるように、港町の歴史、都市の歴史として本書を手にとると想像とは異なる感触を得ることになる。例えば第三章「横浜――条約を運用する」は、東京・横浜の港湾建設をめぐる論争と関連させながら政府レベルの条約改正史に多くの紙幅を割いている。その意味では、書名や各章名いずれも主題と副題を逆転させて捉えておくと分かりやすい。本書は、港を窓口にして日本の近代史を叙述した一書である。 港町を移動しながら幕末から一九六〇年代へと時代を下っていく本書の構成上、港町を相互に比較することは難しい。だが、評者が最も魅力的に感じたのは、東京と地理的に離れた日本海側の港町や九州の港を扱った章である。 宮津(第五章)では、一般には馴染みの薄いであろう神鞭知常という代議士や東邦協会によるシベリア鉄道と日本海の港を結び付けた遠大な国家構想の存在を前提に、成立したばかりの帝国議会や法制に則って小さな港町を貿易港に発展させる試みがあった。しかし、他地域との利害対立によりうまくいかず、やがて観光都市へとシフトしていく様が描かれる。博多(第四章)では、福岡士族を母体とする玄洋社の中央政界との緊張関係や東京中心の政治に固執しない性格が港の発展の足かせとなった一方で、朝鮮半島や中国大陸との関係を深めたことが今日の「アジア拠点都市」博多の発展に繫がると論じる。炭坑や造船所を擁した長崎(第九章)では、中国により近い港として華僑との交流を保ち続けたことの日中関係上の意義を、上海に渡った上海居留日本人に関する研究成果も取り入れて見出している。 貿易港としての経済的発展は築港や鉄道との接続といった大規模事業の成否に依るが、本書の力点は港を拠点に活動する人々の政治や築いてきた交流にどのような意味を見出すかにあり、「地方からみた政治」の一類型を掲げる本書の魅力が詰まっている。国境や法権によって国家間に線が引かれても変わらず活発に行われるアジア諸国との政治的経済的交流に触れたとき、私たちは「中央」へ向かない政治の存在を知り、国民国家という表層に隠れた近代日本の深層を改めて考えさせられることになる。 一方で東京や大阪といった国家や地方の中心的な位置にある大都市を扱った章は議論の広がりに差を感じた。第一四章・東京では、横浜との流通関係や埋立地の利用をめぐる政治が昭和戦前期の経済政策や国家的行事、戦争などの影響を受けながら展開した結果、生活の場と切り離された港湾が生まれる画期を見出し得ているのに対し、第一一章・大阪は実業家の役割や官民関係、政治の重要性といった内向きで窮屈な章に感じた。外交や国際的な人の移動までを視野に入れた大きな展開が魅力の本書においてこのような叙述になったのは、大阪という都市の性格ゆえであろうか、それとも分析の切り口の問題であろうか。様々な学問分野が参入する都市は、豊富な分析の切り口によって切り取られていく。しかし、切り方次第で面白さが大きく変わってしまうことを自戒の念も込めて指摘しておきたい。 そのような難しさにも関わらず、本書は一五もの港町の人や物の流れの変化と港をめぐる地方の政治とを、中央レベルの政治・外交に結びつけることで日本の近代史を描ききった労作である。著者所蔵・撮影の絵葉書や写真がたくさん掲載されているように、著者の見聞したものが惜しげもなく注ぎ込まれた本書は、私たちを有意義な巡礼の旅に導いてくれるに違いない。(さきしま・たつや=東京大学大学院人文社会系研究科助教・日本近現代史)★いなよし・あきら=新潟大学人文社会科学系教授・日本政治外交史。著書に『海港の政治史 明治から戦後へ』など。一九八〇年生。