「公教育」と中間層の解体に抗して 三宅芳夫 / 千葉大学人文公共学府教授・哲学・思想史 週刊読書人2023年1月6日号 なぜ日本の教育は迷走するのか ブラック化する教育 2019–2022 著 者:大内裕和 出版社:青土社 ISBN13:978-4-7917-7504-0 本書は二〇一五年の『ブラック化する教育』、二〇一八年の『ブラック化する教育 2014- 2018』の続編、と位置づけることができる大内裕和氏の対談集である。この間、大内氏は一貫して日本社会の「新自由主義的再編」という文脈に置き直して、日本の教育制度の変遷を批判的に考察してきた。雑誌『現代思想』では、二〇〇二年以来、一九回も著者の視点を参照した「教育特集」を組み続けた、ということだが、これは「新自由主義的再編」という「解読格子」が、教育制度に関心がある一般読者にも説得的であり続けたことを物語るだろう。 著者によれば、日本社会の新自由主義的再編は一九八〇年代の中曽根政権時代にその「起源」をもつ。国鉄の分割民営化(一九八七年)や電電公社の民営化(一九八五年)に代表される三公社五現業の解体は、その象徴とも言える出来事である。教育の分野では一九八四年に設置された臨教審が、従来の公教育を「画一的」・「硬直的」と批判し、学校・教師をサービスの「供給者」、子供・保護者を「消費者」とする、新自由主義的「市場モデル」を提示する大きな役割を果した。 一九九五年には日経連による悪名高い『新時代における「日本的経営」』が出される。この報告のなかでは、「労働力の三分類」という名において、正規雇用の劇的な縮小が宣言された。 大内氏によれば、この日経連の宣言と一九九〇年代に進められた、「ゆとり教育」による学校五日制は連動している。というのも、「ゆとり教育」とは事実上「公教育」の縮小に他ならず、日本社会における決定的なパスポートとなる「学歴」のための熾烈な競争が厳として存在する以上、親の所得による「教育格差」を広げることにしかならなかったからだ。 しかも、かつての「終身・年功」型の雇用の激減によって、たとえ四年制大学を卒業しても、現在の若者たちの人生はきわめて不安定なものに転化している。 そもそも、一九九八年には約二割だった大学生の奨学金利用者は、二〇一〇年には五割を突破しているのである。そして日本における「奨学金」とは、有利子であれ無利子であれ、基本的に「借金 loan」であって、本来の意味での「奨学金 scholarship」ではない。この「借金」を抱えた半数の大学生に加えて、各種専門学校に通う学生たちの「loan」漬けを勘案すれば、現在の日本の若者のおそらく半数以上は二十-二十二歳で平均数百万レベルの「借金」を抱えて「世間」という荒波に船出することになる。 そして、その「借金」を抱えた若者たちの大多数(とりわけ女性)は、仮に「正社員」に一度なったとしても、数百万の「loan」を返済できる見込みはほとんどない。というのも、現在の専門学校卒・高卒の若者が就く「正社員」のほとんど全部は、労働時間の長さと比較してあまりにも給与が低いため、結局一-三年単位で自ら「退職」して、「非正規」労働市場に参入する仕組みになっているからだ。この若年層の雇用の実態を見れば、かつての「一億総中流」と言われた日本社会の構造が根本から覆っていることは明白である。 とは言え、現在までのところ、日本の支配システムは、「競争」の敗者たちに「自己責任」の論理を内面化させることに、ほぼ完璧に「成功」している。「主体性評価」(eポートフォリオ)という、なにやら「おぞましい」響きしかしない、「自己評価基準」の近年の導入の企みなどは、まさに子供たちを「新自由主義的主体性」と「新自由主義的自己規律」へと「自己」を構成させようとする、悪質な企て以外のなにものでもないだろう。 さて、本書をはじめとした大内氏の仕事の特徴は、階層と学歴の相関、そこから浮かび上がる、日本社会の新自由主義的再編とその帰結を具体的なデータを用いながら、明快に描き出している点にある。その意味では、フランスにおける学歴と階層の相関を実証的に分析し、また同時に急激に進行する新自由主義グローバリズムを批判した哲学者・社会学者のP・ブルデューの方法論と共振している、とも言えよう。また、「現実」に介入する社会学者、という点においても、大内氏とブルデューの間には響き合うスタイルの類似がある。 「批判」と「介入」、この二つの契機の連動は、原則的には「研究者」・「知識人」にとって「望ましい」ものではあるが、実際には「言うは易し、行うは難し」であって、そう簡単に実践できるものではない。しかし、この四半世紀の大内氏の歩みは、日本における、その稀有な例をわれわれに提示してくれている。本書もその証左の一つと言えるだろう。(みやけ・よしお=千葉大学人文公共学府教授・哲学・思想史)★おおうち・ひろかず=武蔵大学人文学部教授・教育社会学・教育学。著書に『ブラック化する教育』『教育・権力・社会』『ブラックバイトに騙されるな!』など。一九六七年生。