典型的な言説を批判し、労働問題の根幹を論じる 岡本慎平 / 広島大学文学部助教・一九世紀イギリス哲学・メタ倫理学 週刊読書人2023年1月13日号 オートメーションと労働の未来 著 者:アーロン・ベナナフ 出版社:堀之内出版 ISBN13:978-4-909237-77-4 二〇一〇年代に起こった第三次人工知能ブームを契機として、社会、経済の様々な場面で人工知能やロボットの活用が進み、これまで人間がおこなっていた業務が機械によって置き換えられつつある。現にスーパーの会計がセルフレジとなり、レストランでは配膳ロボットが動き回り、テスラの自動車工場はほとんど無人化され、カスタマーサポートのチャット相手が人工知能に置き換わって久しい。そしてこのような労働の「オートメーション化」について、多くの人々が雇用の問題を懸念している。 コロナ禍によるリモートワークの急拡大も相まって、オートメーションと雇用の問題には、現実的なものからSFじみた未来主義的なものまで、様々な議論が見受けられる。人工知能は人間から仕事を奪い、「技術的失業」へと追いやるパンドラの箱なのか。それとも人類を労働という苦役から解放する福音なのか。 本書『オートメーションと労働の未来』は、以上のようなオートメーション論に対する批判の書である。著者アーロン・ベナナフは巷間で取りざたされる「オートメーション言説」の盛り上がりに釘を差し、労働問題にとって真に重要な事柄はオートメーションではないと喝破する。人工知能はパンドラの箱でもなければ、福音でもない。なぜなら失業率の増加や貧富の格差の拡大は、オートメーション化とはまったく別の要因によって発生しているからだ。 著者は典型的なオートメーション言説を以下のように分析する。まず、人間の労働が機械に置き換えられることにより「技術的失業」が増大している。そしてこのような置き換えは先端的な自動機械や人工知能によるものであり、我々は社会の大部分がオートメーション化された未来へと進みつつある。ところが人間が労働から解放されたとしても、多くの人々は労働なしに生活することができない。したがって、大量失業による悪夢を回避する唯一の手段は、全国民に対するベーシックインカム制度の導入である。著者も繰り返し指摘するように、このようなオートメーション言説は歴史上繰り返し登場したユートピア論、すなわち「生を営むうえで必要なあらゆるものへのアクセスが例外なく万人に保証される」(四九頁)ポスト希少性社会を予言する言説の、二一世紀版の焼き直しである。そしてこのような言説は、現実認識として誤っているだけでなく、目指すべき目標としても誤っている。そのため、現在苦境に立たされている労働者たちの問題が近年生じた人工知能・ロボット工学の発展といかに無関係であるのかを解きほぐし、そのうえで計画経済的でトップダウン的な「ベーシックインカム」を待望するのではなく、変革を望む人々による社会運動の圧力によって適切な再分配を促すべきだと提言するのが、本書の筋立てである。 本書の読みどころは、おそらく二つに大別できる。一つは人工知能がもたらす社会的インパクトについての論評である。本書は人工知能の発展を楽観も悲観もせず、二〇世紀を通して起こった脱産業化と技術革新の流れの一部として冷静に受け止めており、そこから導かれる労働問題の分析は大きな説得力を持つ。もう一つは左翼の社会的闘争の鼓舞である。本書は、搾取や不平等のない「ポスト希少性社会」をもたらす道として、かつてカール・マルクスやオットー・ノイラートらが目指した、人々の連帯による闘争を強調する。技術革新ではなく人々のアソシエーションこそが、正しき未来をもたらすのだと。 私自身は、著者が期待する新たな世代の社会運動の影響力や有効性には懐疑的である。しかし、こうした運動にコミットしている人々にとっては、本書の議論は熱烈なエールとして響くだろう。私ですら、カントの有名な言葉をもじった「ビジョンなき運動は盲目である。しかし、運動なき空想家は遥かに無能である。」(一九二頁)という著者の激励には胸を打たれるものがあったのだから。(佐々木隆治監訳・解説、岩橋誠、萩田翔太郎、中島崇法訳)(おかもと・しんぺい=広島大学文学部助教・一九世紀イギリス哲学・メタ倫理学)★アーロン・ベナナフ =シラキュース大学社会学部助教・経済史・社会理論。『ジャコビン』『ガーディアン』『ニューレフトレビュー』などに多く寄稿。本書はスペイン語、ドイツ語、韓国語など世界中で翻訳されており、大きな反響を呼んでいる。