「ポスト・ウクライナ戦争」の展望すら窺える対談 渋谷謙次郎 / 早稲田大学法学学術院教授・ロシア法 週刊読書人2023年1月20日号 おどろきのウクライナ 著 者:橋爪大三郎・大澤真幸 出版社:集英社 ISBN13:978-4-08-721241-9 本書は個別の専門領域を超えて積極的に評論、発言を行なってきた標記二氏による連続対談集である。しかもウクライナ戦争のみに特化した対談ではなく、第一章はアフガニスタンと米国、第二章はウイグルと中国を対象としたもので、それらは対談時期が、二〇二一年秋口である。第三章以降が、ロシアのウクライナ侵攻以後に行われた対談であり、最終章は「ポスト・ウクライナ戦争」の世界を展望するものとなっている。結果的には、ウクライナ戦争勃発に前後する国際秩序の背景と行方を複眼的にとらえることが可能となっている。また随所で中国とロシアのポジションやアイデンティティの違いに言及されていることも、本書の特徴である。ウクライナ戦争の解明に際しては、軍事や歴史、地域研究、クレムリノロジー、ナショナリズム論などの専門特化された視点だけでは不十分であり、いわば総合知が要求される。それには、ロシアやウクライナなどの旧ソ連圏の専門家だけで困難であり、本書は一読の価値があると思う。 かつてはマルクス主義がそうした「総合知」を自ら買って出ていたが、むろん今現在はそうでなく(帝国主義戦争という言葉自体を見かけなくなっている)、そのことを両氏は世代的にも重々承知のため、様々な角度からの解明、分析視点が提示される。例えば大澤氏は、ある種の「上部構造」的視点を重視し、ロシアがいかに西側と対決色を強めようとも、根底には欧米に対する強烈なルサンチマンがあるという精神分析的視点をとる(現代ロシアで復活したいわゆるユーラシア主義もその屈折した表れであり、決してアジア重視ということではないという)。逆に、ロシアよりも経済規模の点ではるかに勝る中国には、ロシアほど大きな西欧コンプレックスはなく、自らの原理・原則に立ってやっていける、とも。 中国に関する発言度の高い橋爪氏は、中国共産党が事実上立法権や外国企業に対する監督権を行使できる点を重視する。ただし橋爪氏は、中国のふるまい、共産党の仕切る権威主義的資本主義を、リベラル・デモクラシーにとっての「反社」とみなし、中国経済との「デカップリング」さえ毅然と主張する(いわんやロシアにおいてをや、ということか)。今後、世界の資本主義が、現代版の奴隷制である権威主義的資本主義と決別できるかにかかっているのだという。 それに対して、大澤氏は、中国やロシアを擁護するのではないが、かといって他者の他者性を強調するのでなく、リベラル・デモクラシー内部の自己反省を主張する。西側システムの優位性ということを強いていうならば、それは自己自身の原理によって自己自身を反省できるということでもある。もし「反社」をいうならば、世界の工場である中国の繁栄に「寄生」してきた西側経済もどうなのか、という具合に(ロシアにはエネルギーを依存)。 現下の戦争でロシアに勝たせてはならないという点で両氏は一致しているにせよ、「ポスト・ウクライナ戦争」の世界をめぐる展望は、両氏の間で異なってこよう。橋爪氏的視点によれば、それは権威主義的資本主義との闘いということになるであろうし、大澤氏的には、リベラル資本主義の自己保存というよりは、その自己変化のようにも見える(そうした点では大澤氏の視点はマルクス的視点と邂逅する)。 その後、ゼレンスキー大統領が米国議会で、米国によるウクライナ支援を「世界の安全保障と民主主義への投資」と主張した。仮に文字通り受け取るにしても、「投資」がどのような効果となって現れるかは未知である。その点でも両氏の「ポスト・ウクライナ戦争」の展望の違いは、参考になるかもしれない。(しぶや・けんじろう=早稲田大学法学学術院教授・ロシア法)★はしづめ・だいさぶろう=大学院大学至善館教授・社会学。著書に『言語ゲームの練習問題』『アメリカの教会』『さんすうの本』など。一九四八年生。★おおさわ・まさち=千葉大学助教授、京都大学教授を歴任・社会学。著書に『この世界の問い方』『経済の起源』、共著に『7・8元首相襲撃事件 何が終わり、何が始まったのか?』など。一九五八年生。