怒りと哀しみの底に残るわずかな希望 木澤佐登志 / 文筆家 週刊読書人2023年1月27日号 バッサ・モデネーゼの悪魔たち 著 者:パブロ・トリンチャ 出版社:共和国 ISBN13:978-4-907986-92-6 独自の視点から尖った書物を世に送り出す、いまもっとも才気走っている個人出版社のひとつである共和国、そこからまた一冊、一筋縄ではいかない本が出た。本書の帯文には次のように記されている。「1990年代末、イタリアの一地方で小児性愛、悪魔崇拝などのカルト犯罪が発覚。捜査の結果、16人の子どもたちが家族から引き離され、両親や親族がつぎつぎに逮捕されるが、20年後、著者の調査によって明らかになった衝撃の事実とは――?」 小児性愛、悪魔崇拝、カルト犯罪……。この帯文だけ読むと、Netflixに転がっているような仰々しい犯罪ドキュメンタリーを思わせる内容を想像するかもしれない。事実、川岸で発見された少女の頭蓋骨を発端に、本書はスリリングな緊張感とともに展開されていく。同時多発的に発生する家族内における児童への性的虐待の発覚。加害者とされたのは、恐るべきことに子どもたちの両親や親戚やきょうだいたちだった。 この事件において重要な役割を果たしたのは、ソーシャルワーカーや心理カウンセラーといった人々の存在である。心理カウンセラーは子どもたちから「証言」を引き出し、ソーシャルワーカーは親権を剝奪された両親から子どもを引き離す。そんなさなか、ダリオと呼ばれるひとりの子どもが心理カウンセラーに語った事件の内容は人々を戦慄させるものだった。すなわち、広大な小児性愛ネットワークが形成するカルト集団が深夜の墓地を舞台に恐ろしい悪魔崇拝の儀式を執り行っている、と。のみならず、そこでは殺人すらも行なわれている、と。 少年による驚くべき証言は、結果的に多数の逮捕者を生み出すこととなった(なかには自殺した者もいた)。地域紙は加害者たちを、舞台となった一地方の名を取って「バッサ・モデネーゼの悪魔たち」と呼んだ。 かくして「悪魔たち」は逮捕され、救われた子どもたちは養子として別の親元へと引き取られていった。これが本書『バッサ・モデネーゼの悪魔たち』の全容である、と言いたいところだがそうは問屋が卸さない。あえてネタバレは避けるが、事件から20年後、著者の再調査によってショッキングな真実が明らかにされるからだ。私は冒頭で本書は「一筋縄ではいかない」と書いた。というのも本書は後半に至って、悪魔崇拝カルトを扱った犯罪ドキュメンタリーから重い問題提起と告発を含む社会派ドキュメンタリーへと変貌するのだ。ここに本書の「一筋縄ではいかない」重層性がある。 本書の読後感は、決して爽やかなものではない。著者がタイトルに込めた「バッサ・モデネーゼの悪魔たち」の真の意味を諒解したとき、読者はこの事件にまつわる「不公正」に加担した者たちに対する怒りに(著者とともに)駆られるだろう。本書で次々と明かされる事柄はどこまでも陰鬱で気が滅入るものであり、読み終わったあとには怒りと哀しみ、そしてわずかな希望だけが残される。 そう、わずかな希望。それは、本書の告発が実際に世論を動かし、「不公正」に携わった者たちのうちの何人かが法によって、数十年越しに裁かれたという事実にある。言ってみれば、この本は現実を変えたのだ。言葉によって人々に訴えかけ、そして現に「不公正」が正される方向に世界が動くこと。それは、ともすれば忘れられがちであるジャーナリズムの本懐でもあるはずだ。言葉の力は世界を良い方向に少しでも変えることができる。そのことを証明してみせた書物が存在し、さらに言えば辺境の島国でも翻訳されて私の手元に現にこうして存在すること、そのこと自体がわずかな、しかしこれ以上ないほど力強い「希望」に違いないのである。(栗原俊秀訳)(きざわ・さとし=文筆家)★パブロ・トリンチャ=新聞、テレビ、ウェブサイトの特派員やライターとしてキャリアを積む。二〇二〇年エステンセ賞を本書で受賞。一九七七年、ドイツ生まれ。