「これぞまさにクイズ・エンターテインメントだよ!」 青木淳悟 / 作家 週刊読書人2023年1月27日号 君のクイズ 著 者:小川哲 出版社:朝日新聞出版 ISBN13:978-4-02-251837-8 本編を読み出す以前に、実のところ書店店頭の棚の前で、著者からの謎めいたメッセージとしてそれを受け取った。個人的には本書中最大の謎かとも思われるものがすでに書店内で投げかけられるという、そんな未曾有の経験。「なんだこれ、小説の本になんてタイトルをつけているんだ!」。 この現代、たとえクイズプレーヤーでなくとも誰しもクイズ番組視聴者であり、「問題――」と読み上げる(問い読みの)声にはきっと馴染みがあることだろう。というわけで問題、タイトル「君のクイズ」に包含された謎とは何でしょうか? 考えてもみてほしい。クイズのどこをどう捉えたら「君の」などと格助詞を使って修飾できるのか。「君への」でも「君との」でも「君のための」でもない。正直な話、見かけた瞬間に日本語として気持ち悪いと思った。それと同時に、組み合わせた語に据わりの悪さを覚えたタイトルの、シンプルながらその奥深くに意味を探りたくなっていた(もちろんだからこそ絶妙な「いいタイトル」なのだが……)。 改めて「君のクイズ」? クイズは誰にとってもクイズだし、例えば雨みたいに分け隔てなく降り注ぐものだ。テレビ画面の向こうの「問題――」の声は、収録番組だとしてもその場で解答席にも観覧席にもお茶の間にも等しく届けられる(ちなみに筆者は、世代的に日テレの福留アナがアメリカ横断中に発する声を聞いて育った)。と、かつて一度も「誰かの」とは考えもしなかったクイズについて、いわばありふれた公共物や自然物を個人の名のもとに固有のものとして扱う、そんな個人化しうる余地など本当にあるだろうか、という疑念が頭をもたげる。そして意地悪くも、「どうせ何となくつけたコケオドシのタイトルなんだろう?」。 当然ながら小説の前では、モチーフならモチーフでそれをいかに具体的な場面として描きうるかといった実際上の書き方への問い、「さあどう書くんだ?」へと変換される。正統派クイズプレーヤーの強者である主人公は、「Q‐1グランプリ」決勝戦で「世界を頭の中に保存する男」たる異色の天才東大生タレントと戦う。互いにイーブンで優勝にリーチをかけた最終問題、対戦相手の「ゼロ文字押し」というありえない早押しによって勝敗が決した直後から、そのヤラセ疑惑とクイズの真の解法(一文字も読まれていないクイズがいかに解かれたか?)を巡るミステリーが幕を開ける。 本編の筋自体にはあまり触れないでおこう。とにかく七問先取制の決勝戦で出題されたクイズの問題文と答えが、当日の生放送中の戦いの模様を振り返るかたちで、誤答を入れて十六問目までリアルに再現されていく。優勝賞金一千万円の行方は一度宙に浮いて、主人公は真の決着をつけるべく番組終了後から動き出す。が、クイズを解く対戦中の心理を追いかけることが、自分にとってまた対戦相手にとって「クイズとは何か」を問うことにつながり、さらには人生の豊かさという奥行きを持つまでに至る。 決勝戦の分析と推理を通じて、本当にクイズが「君化」せざるをえないような状況が生じたことに興奮を隠せなくなっていた。どうして「野島断層」との解答が、「OTPP(烏龍茶重合ポリフェノールの略号)」と答えることがいちいち個人の経験と結びつくのか、このあたりは本編を読んで味わってもらうしかない。こうしてクイズに個人的側面を見出すことが、最終問題の解答(「ママ、クリーニング小野寺よ」)の真の解法につながることを期待させる。 十六問目で最高潮に達する「謎解きの謎解き」への期待感の高まりは、当事者自身にとってクイズが世界と等しくなるかのような迫力を帯びる一方で、改めてそこに解法を見つけることは不可能ではないかとも思わせ、この小説という問題に答えを出すのに限界までハードルを上げているようにも感じられた。そしてついには「ゼロ文字正答」の壁が破られる。 ミステリーの読み方としてどこか不純だったかもしれないのだが、タイトルの意味が十分に腑に落ちたあとも、最後まで興奮の冷めやらない「これぞまさにクイズ・エンターテインメントだよ!」。(あおき・じゅんご=作家)★おがわ・さとし=作家。著書に『ゲームの王国』(日本SF大賞、山本周五郎賞)『噓と正典』(第一六二回直木三十五賞候補)、『地図と拳』(山田風太郎賞、第一六八回直木賞)など。一九八六年生。