世界中に設置された冷徹な監視カメラのような眼 太田靖久 / 小説家 週刊読書人2023年2月3日号 Ultimate Edition 著 者:阿部和重 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-03078-4 本書は『Deluxe Edition』(二〇一三年、文藝春秋)以来、九年ぶりとなる短篇集であり、十六の小説が収められている。 三十年近いキャリアを持つ氏の世界観を評するのに、個々の作品のあらすじを追って解説するだけでは文字数が足りないし、散漫になる。それゆえ、本書全体の細部に着目し、適宜引用していく。実在する人物や事件を多く取り入れている本書への批評として、サンプリングは必然性があるからだ。その手法を用いつつ、本書における意味の剝奪/意味の付与について順に語るが、まずは装幀デザインに触れたい。 白と金の市松模様で彩られた表紙には加工がほどこされていて、凹凸がある。そのため、竹ひごか何かで編んでいるようにも錯覚する。このデザインは「意味をとことん削ぎ落とし、単なる色と色との区別へと還元する」(「Eeny,Meeny,Miny,Moe」)といった、意味の剝奪に象徴される氏の無機質で客観的な視点を表現してもいる。 その一方、ひとつの事物にいくつも意味を付与するという、反対の方法論を氏が同時展開しているのが興味深い。各短篇のタイトルは既存の楽曲名などを引用した音楽アルバム仕立てのコンセプトであり『Deluxe Edition』と同様だ。「単に楽曲名を持ってきているだけでなく、テーマや内容でも繫がりがある」(Web河出/『Ultimate Edition』刊行記念 全収録作解説インタビュー)と自らコメントしているように、氏の遊び心とは別に、作品の外にまで物語が広がっていく効果がある。 物語の設定は刺激的なシチュエーションで現実離れしているようにも見えるが、ありふれた日常と、各国の紛争やテロや暗殺計画などは固く結びついている。「Pokémon GO」と「ダマスカス鋼のハンティングナイフ」が並列的に共存する巻頭作(「Hunters And Collectors」)はその一例だろう。「ここで起きていないからといって、それがまったく起こってないってわけじゃない」(「It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)」)ことを、コンセプチュアルな重層的構造により、氏は明示している。 本書には、このような意味の剝奪/意味の付与がランダムに散りばめられている。氏の眼は、世界中に設置された冷徹な監視カメラのようだ。ひとたび事故や事件が起これば自動的に作動しはじめる。ズームとワイドの操作を使い分けながら、人物たちの仕草や出来事の一部始終をとらえる。カメラのレンズが対象に近づいてフォーカスが合えば、そこに意味が発生するし、フォーカスが外れれば、景色は色と意味を失い、カオスになる。 視聴者(読者)はモニターの前に座り、その画面に並ぶ十六分割の各映像に夢中になる。「当然ながら視聴者はどこまでいっても視聴者でしかない」(「AHOyH」)が、眼前に展開するそれらの物語をただ享受して安穏としているだけでは、あまりに危険だ。その姿もまた、後方や真上から別のカメラでとらえられている可能性があるからだ。 氏の想像力は周到だ。そんな風景のサンプルをあらかじめ物語内に編みこんでいる。「ラップトップのディスプレーへ視線をもどすと、上空で待機中のドローンから送られてきている空撮映像が表示されている。撮られているのはだだっぴろい土地にぽつんと建っているおおきめの一軒家――つまりここだ。(略)ほどなく空対地ミサイルが発射され、(略)この部屋もろとも同時に吹きとんでしまうから、目の前のラップトップがそれを映しだすことはもはやありえない」(「Drugs And Poison」)。 見る/見られるという立ち位置は絶えず流転していて、自他が不明になる。その不安定な関係性を描いている点でも、本書は極めて現代的だ。「境界線が薄れ、異世界の法則に圧されていった旧世界は、虚構の浸食を受けすぎて異形化の一途をたどる羽目となる」(「Neon Angels On The Road To Ruin」)。 だから視聴者(読者)はどこかに存在するカメラを意識して、常に四方に目を配る必要がある。これは非常にスリリングな読書体験だ。(おおた・やすひさ=小説家)★あべ・かずしげ=作家。著書に『グランド・フィナーレ』(芥川賞)『ピストルズ』(谷崎賞)『オーガ(ニ)ズム』『ブラック・チェンバー・ミュージック』など。一九六八年生。