歴史修復を通した「私たち」の歴史を作る試み 吉井千周 / 富山大学准教授・法社会学・マイノリティ法学 週刊読書人2023年2月10日号 私たちの歴史を癒すということ ワイタンギ条約の課題 著 者:ロバート・コンセダイン/ジョアナ・コンセダイン 出版社:影書房 ISBN13:978-4-87714-493-7 近代に成立した国民国家は、特に植民地において宗主国による先住民の服従、社会制度からの排除、そして時に虐殺することで植民地国家を形成した。こうした宗主国による植民地支配とそれに伴う先住民への圧政は、世界各国で「修復」の対象となっており、日本においても戦時中の植民地問題、または日本国内の先住民であるアイヌ民族や沖縄問題などで表出化している。本書はそのような先住民の人権問題について、ニュージーランド先住民マオリの人権問題に携わってきたコンセダイン氏らの実践活動の記録である。 第一部は一八四〇年に英国がマオリの人々に強制的に締結させたワイタンギ条約を中心として、ニュージーランドの植民地政策の課題と現在まで続く差別を生み出した言説の検証がなされている。ニュージーランドのみならず、アイルランド、カナダ、オーストラリアの先住民政策、そしてそれらの政策と結びつく形で行われたカトリックやキリスト教が先住民に対して行った布教活動に関する詳細な記述は、植民地研究入門としても最適であろう。 また、本書の記述はパケハ(マオリ以外の入植者の総称で総じて白人のことを指す)としての著者のライフストーリーと平行的に語られる。パケハとして先人による隠れた恩恵を受け継いだ自身を振り返ることは、著者らにとって痛みを伴う困難な行為であったことが想起される。 引用されているヘンリー・レイノルズの言葉にもあるとおり、正しく歴史と対峙し、歴史を修復する作業は、被抑圧者の人権を認めさせるだけでなく、抑圧者とその子孫にとっては自らに与えられた「隠れた恩恵」を再確認する痛みの伴う作業となる。コンセダイン氏はマオリの人権問題に関わる中で、パケハとしてのアイデンティティが揺らぎつつも、マオリへの認識を新たにしていく。その姿を通し、ニュージーランド史に不慣れな読者諸氏もまた、マオリ政策史を深く知ることができるようになっている。 第二部では、マオリ人権教育活動に携わる著者により、コンセダイン氏らが行ってきたマオリとパケハを対象としたワークショップの手法とその有用性について考察がなされる。その前提となる歴史は、これまでのニュージーランドの歴史教育において語られてきたマオリ政策史ではない。ワイタンギ条約の締結時の状況分析から丹念に修正を行い、今日までに使用されてきた教科書の記述を比較検討した丹念な歴史修復の試みが行われた「私たちの歴史」である。このようにして修復された歴史を用いて、マオリとパケハの人々でワークショップを通じて分かち合う。このワークショップではパラレルアプローチが用いられ、マオリとパケハをそれぞれ別グループで対話させ、同じ立場にある人々間でまず問題を共有する。 また、歴史上に埋もれた人々の役割をワークショップ参加者が演じることで、互いの理解を深めるというソシオドラマも使用される。このようなワークショップの手法は、現在ではカナダやオーストラリアでも広く使用されている。歴史を修復し共有するためには、歴史家による地道な歴史の掘り起こしの作業に加えて、こうした人々の間で共有するワークショップ手法の有効性が示される。 本書の末尾に収められた上村英明氏の解説は、本書のテーマをより深く理解する手助けとなる。コンセダイン氏らの実践活動を踏まえた上で、歴史を修復する困難性を踏まえてもなお、こうしたアプローチが日本においても有効性を与えることを示唆する。歴史の「修復」と「修正」は、天と地ほども異なるものである。今日本で生じている様々な社会問題が、政府にとって都合のよいストーリーに修正されている現状を問い直すために、本書の歴史修復アプローチの有効性が示されているように思う。「私たち」も、日本国内の問題群に対して傍観者でいることはできない「隠れた恩恵」を受けた抑圧者、もしくはその子孫であるかもしれない。そうであるならば、歴史を正しく修復するという難題を通し、対話と癒しによる「私たち」の歴史を再構築する必要性を考えずには、いられないのではないか。(中村聡子訳、上村英明解説)(よしい・せんしゅう=富山大学准教授・法社会学・マイノリティ法学)★ロバート・コンセダイン=ワイタンギ・アソシエイツ設立者のひとり。ワイタンギ条約に関する教育ワークショップを各地で開催。★ジョアナ・コンセダイン=ワイタンギ・アソシエイツで契約社員として働き、現在はキャリア開発に携わっている。