連綿と続く歴史を受け継ぎ、新世代へ 宮田徹也 / 嵯峨美術大学客員教授・日本近代美術思想史研究 週刊読書人2023年2月10日号 同時代美術の見方 毎日新聞展評 1987-2016 著 者:三田晴夫 出版社:藝華書院 ISBN13:978-4-904706-20-6 昭和六二年から平成二八年までの評と、序文が書かれた令和四年まで含めると、三五年に亘る歴史がここに描き込まれている。副題にある通り、その全ては展覧会評という、美術という特殊な現場からの視線であったとしても、毎日新聞という媒体なのだから、正に誰にでも簡単に読み解くことができる。「現代」とせずに「同時代」としたのが、ポイントだ。 同時に、美術関係者からすれば、緻密な批評と記録である。関西の方々からすれば東京中心で面白くないであろうが、関西のアーティストの展覧会が東京に来た場合、しっかりと取材しているし、三田は時にはアメリカや韓国にまで足を伸ばしている。いわゆる「戦後美術」が中心となっているが、海外展や団体展についても、言及されている。 三田の方法論の基礎となっているのは、やはり新聞記事である。見出しがあり、最後にアーティストの生年を書く。しかし三田はこれに拘っていない。時には書いてない場合があるし、批評家よりも作品に切り込んでいく時もある。同じアーティストを何回も取材して、研究者のように長い間、追い続けることもある。つまり、自在なのである。 内容は個展やグループ展の展評だけではなく、美術界の時事、様々な事件、絵画、彫刻、インスタレーションという専門的分野の動向、アーティスト論やインタビューなど、多彩に満ち溢れている。我々は情報過多で溺れているのではなく、押し流されて忘却していくので、本書を辿り、これまでのことを思い出す必要がある。それにより、現代を知る。 私は本書に付箋を貼りながら読み、書評を書く際に引用していこうと思っていたのだが、「思い出すこと」をテーマにしようと思い立ったので、やめた。一か所だけ引用する。本書では政治や世界的事件について、ほとんど言及されていない。三・一一ですらも、以下である。「大震災後の自粛的空気の中」(七八三頁)、展覧会が開催された。 三田は決して、芸術至上主義に陥っているのではない。むしろ、どのような動向が起ったとしても、一流のアーティストは怯むことなく、淡々と自己の仕事を続ける姿に共鳴していることを示す態度なのではないだろうか。勿論、一流のアーティストは社会と向き合っているからこそ、表立ってキャンペーンを張ったりしないのである。 本書を通読すると、バブル経済によって倉庫が画廊になっていたり、経済破綻によって美術館の予算がつかなくなったり、果ては内覧会のお茶代まで削ぎ落とされたことなども記されている。疫病によって行われなくなった内覧会は、今後、その存在すら忘れ去られてしまう可能性がある。ここにある三五年間とは、激動であったことに気づく。 世間を賑わせた著名アーティストの名前も、登場する。今でも人気がある者、そこそこに活動している者、消えてしまった者。様々である。それは、画廊や美術館にも言えることであろう。三田は隈なく取材をしているが、あの頃活躍していたのに、出てこない者もいる。本書を読むと、書かれていない事象を考えることができる。 近年、「戦後美術」の研究が、ぱたりと倒れたように失われている気がする。一九五〇年代の岡本太郎を代表するように、先人に尊敬の念を持つためにそれを超えなければならないと、歴史を背負って時代に立ち向かっていった前衛美術である。その研究をしていた土方定一(一九〇四-一九八〇)、宮川寅雄(一九〇八-一九八四)の名も聞かない。 一九一〇年生まれの太郎は、三〇年代から活動していた。太郎の先輩に、明治生まれのアーティストもいた可能性がある。つまり、歴史は脈々と続いている。現代のアーティスト、批評者、画廊主、研究者でも、数はめっきり減ったが、その意志を受け継ぎ、新世代に託そうとする者も現存しているのである。私は今回、朝日新聞の記者であった田中三蔵(一九四八-二〇一二)の『駆け抜ける前衛』(岩波書店、二〇一〇年)を手に取ったが、比較する暇がない。『同時代美術の見方』を携えて北九州市立美術館に赴き、ホテルで頁を捲っていたら、丁度、今回と同じく横尾龍彦が同館で展覧会を行った記事に出逢った。二〇〇一年一二月二八日である(五〇五頁)。 横尾の展覧会は神奈川県立近代美術館(二月四日-四月九日)、埼玉県立近代美術館(七月一五日-九月二四日)と続く。是非とも、前衛美術の醍醐味を味わっていただきたい。 私は本書を持ち歩き、約二週間で読み終えた。多くの者たちから見れば、何も重い思いをしなくてもいいのに、出版社からPDFを貰えばいいのに、と思われたのかも知れない。私は普段から電車内でしか読書しないので、それに従った迄だ。私はもしかしたら、三田の仕事の重みを自己の体に刻み込みたかったのかも知れない。 誰にでも、気楽に読める内容である。この値段で三五年以上の価値がある。是非とも、思い出し、未来を想起して戴きたい。(みやた・てつや=嵯峨美術大学客員教授・日本近代美術思想史研究)★さんだ・はるお=美術評論家・元毎日新聞学芸部美術担当記者。著書に『教養としての近現代美術史』など。一九四八年生。