知識を深めたい人にぴったりの「観る」ガイド本 カツテイク / 読書家・音楽家 週刊読書人2023年2月17日号 K―POP原論 著 者:野間秀樹 出版社:ハザ(Haza) ISBN13:978-4-910751-01-6 BTSを代表格として、今や世界各国で人気のK-POPだが、その魅力とは何なのか? 言語学者で美術家の著者が、K-POPの中心にあるのはMV(ミュージック・ビデオ)だとして、言語と美術の二つの視点からその解説を試みるのが本書だ。 K-POPはある種の国家事業でもあり熱狂的なファンの存在などもよくフォーカスされるが、本書ではそういった外部は排除し、あくまで作品のみに議論を絞る。著者は、インターネットにおける音、ビジュアル、言葉などの相互作用と絶え間ない変化を示す〈TAVnet〉と、その人の存在そのものであるような、魂からの歌声を示す〈こゑ〉という二つの独自の概念を持ち込む。〈TAVnet〉の象徴がYoutubeであり、人々はカメラワークから色彩まで徹底的に作り込んだK-POPのMVの虜になり、身体性溢れるダンスをファンが真似してみせ、コメント欄で韓国語を他言語へ翻訳し、交流が生まれる。〈こゑ〉は、本書の白眉である「なぜ韓国語のラップは刺さるのか」と関連してくる。言語学者の著者による発声法からオノマトペ、韓国での漢字文化にまで及ぶ展開は、K-POPから韓国語に興味を持った読者には格好の「教材」となるはずだ。 以上の視点を中心に専門的な解説を加え楽曲を次々と紹介していき、K-POPのMVは音と光とことばが統合した一種の総合芸術〈Kアート〉であると主張する。本書で紹介された各楽曲にはすべてQRコードが載っていて、すぐスマホからMVへと飛ぶことができる。その数は一五〇本! K-POP初心者にも知識を深めたい人にもぴったりの本に違いない。 さて、評者も本書でおすすめされているMVを(もちろんすでに聴いたことがある曲含め)数曲観てみたが……確かに映像は素晴らしく作り込まれているけれど、その当時のアメリカのポピュラー音楽のトレンドをなぞった(良くも悪くも)極めて商業的な音楽であるという感想が出てくる。著者は〈ことばと音と光の統合態〉とはいえ、決定的な核は〈歌〉であり、その実質的な本体は〈こゑ〉からなっていると書いているが、〈歌〉というよりも「楽曲」、つまり音楽こそが核ではないだろうか? しかし、本書は全体を通して〈光〉と〈ことば〉への専門的な解説ばかりで、音楽への言及が少ない。音楽は韓国語の〈音〉として言語論へと展開されるからだ。〈こゑ〉という独自の概念や特定の楽曲のコード進行の前に、現代のポピュラー音楽批評で当たり前に出てくる「EDM」や「トラップ」といった、K-POPが属するジャンルを表す用語をまず先に使うべきだろう。 さらに、「音楽」に触れていたとしても、首を捻らざるをえない箇所が多い。本書後半で、K-POPには予定調和を崩す曲が多いとしているが、評者のように常日頃から様々な音楽を聴いている者からすれば、本書でお勧めされている楽曲は、すべてどこかで聴いたことがある要素の詰め合わせで予定調和の域を出ない。むしろ徹底的に予定調和であることが、ここまで商業的に成功した要因のひとつだろう。K-POPの音楽的特徴は流行のごった煮であり、既存のものを貼り合わせて新しいものを作るという本書での〈プリコラージュ〉の議論に容易に接続可能と思われるが、ほとんど触れられない。そして、K-POPの重要な影響源であるヒップホップについて「ラップとはヒップホップそのものであり、アメリカであり、エミネムであり、何より英語」と一行でまとめたところだ。こういった記述は、ヒップホップが内包する黒人の歴史の軽視であり、本書には書かれていないが「K-POPは文化盗用ではないか」という批判とも向き合っているK-POPアーティストたちと、相反する態度と受け取られる。結末部での、K-POPの定義は究極的に「言語の働きに拠る」には評者も同意するが、その前にもっと書くべきことがあったはずだ。 結局「白人のエミネムひとりだけを挙げるのはおかしい。そこは2パックかジェイ・Z、最近ならケンドリック……」というツッコミを入れる読者はあまり想定されていない、いやK-POPには向いていないのだろう。なぜならそういった読者は「聴く」ことを圧倒的に重視するタイプであり、対してK-POPは「観る」ことに大きな力点が置かれているからだ。総じて本書は、K-POPを「観る」ガイド本として最良の書であることは間違いない。(カツテイク=読書家・音楽家)★のま・ひでき=言語学者・美術家。著書に『言語存在論』『言語 この希望に満ちたもの』『新版 ハングルの誕生』など。一九五三年生。