この小説の中では幽霊は確かに実在している 鴻池留衣 / 小説家 週刊読書人2023年2月17日号 踏切の幽霊 著 者:高野和明 出版社:文藝春秋 ISBN13:978-4-16-391633-0 幽霊に会ったことがありますか? 幽霊は存在すると思いますか? 例えば僕は小説家ですが、この肩書きを背負いながら「幽霊はいる」と主張することに、どれくらいのリスクがあるのか見当もつきません。僕は常々、作家としてどんな言動を取ったら、どれくらい読者の方々を失うことになるのかと、内心ビクビクしながらTwitterを使っています。たとえばもしも今後、幽霊を見るようなことがあれば、そのことについて僕は、言いたくても頑なに口を閉ざさなくてはならないのでしょうか。 この問いは、次の疑念をも孕んでいます。すなわち、「小説に幽霊を出すことが、今の僕に可能なのか」、と。 高野和明『踏切の幽霊』を読みながら、そんなことをずっと考えていました。 舞台は一九九四年の冬。きっかけは、大学の鉄道サークルにいる学生が下北沢駅で撮った、ある一本の8ミリフィルムでした。そこには踏切の中に、女性の幽霊(のようなもの)が映り込んでいたのです。 女性向け雑誌の記者の松田は、このいわゆる「心霊ネタ」を調査することになります。元新聞記者としてのノウハウを活かしながら、「幽霊」に関する情報を集めていくうちに、とある解決済みの殺人事件に行き当たります。その事件は、解決済みとは言え、しかし実は被害者の身元が未だ判明していませんでした。 松田の巧みな取材活動によって、やがて社会の裏に隠された悲しい事実が徐々に明らかになっていく、というのが本作のあらすじです。 なんだかどんどん謎が深まっていき、ページを捲る手が止まりませんでした。 と言うのも、本作の仕掛けとして、フィルムに捉えられた幽霊の姿へのオカルト的な興味と、とある解決済み事件の背後にある陰謀への理知的な興味が、読み進めるための牽引力として相乗効果を生んでいるんです。上手いな、視覚的に訴えてくるな、これは映像化に向いているんじゃないのかな、などと思いながら読み進めていました。 けれども終始、僕が最も興味深かったのは、幽霊という存在を、本作が最後どのように回収するのか、という問題です。 なるほど、こう来たか、と読後に唸りました。ミステリー小説として分類しても構わないのかどうか、その道にあまり明るくない僕には断言できないのですが、幽霊というガジェットが引き起こすミステリーとしては、これ以外に選択できないオチなのではないかと納得しました。 「おばけなんてないさ」という建前で物書きをしている僕は、読み始め「はいはい、トリックトリック」「こんなの偶然ジャン」なんてたかを括っていたわけですけれど、読み進めていきながら「あれ? ちょっと待って。これ、この幽霊、実はガチなんじゃね」と徐々に信念が揺らいでいきました。それがとても面白い体験だったんです。現実の世界の幽霊はともかく、この小説の中では幽霊は確かに実在しているぞと、読書中に限ってはオカルト肯定派に見事に転がされていきました。 この、読者としての僕の認識の変遷こそが、本作のキモなんだと、小説家の端くれとして僕は考えた次第です。 現実に幽霊が存在しているのだとしたら、その幽霊は決して「社会の常識」に従って存在しているわけではないですよね? 現代科学で説明できる範囲内に収まるような、ある種の節度を持った存在ではないはずですよね? だとすれば、小説の中の「現実」に存在している幽霊も、常識にとらわれずきっと自由に振る舞うはず。そこが仮に「ミステリー小説」という常識の枠組みの中だったとしても。 僕は本作を読みながら、名もなき女性の幽霊の、妙に「能動的」な感じに、ひどく感心しました。彼女の意思こそがこの物語を呼び起こした「源泉」であり、主人公で視点人物の松田などは、読者と同じく幽霊に誘われた傍観者に過ぎないんです。あるいは本作は「その幽霊が書き起こした小説である」、という読み方すら、勝手気ままな読者である僕には可能でした。 抽象的なことばかり言ってすみません。ネタバレ回避しております。 人間って不思議ですよね。みんなが幽霊のことを怖がるのは、幽霊に存在してほしくないからでしょう? それなのに人間は、亡くした大切なひとにどうしても会いたがる。現実世界の諸問題と死者たちとは、密接に、複雑に関わりあっています。少なくともこの事実に関しては、幽霊の存在を否定する人たちにも同意してほしいところです。デファクトとして、科学では計り知れないものの多大なる影響を、僕たちの現実社会は確かに受けているんですよね。 小説家がその事実を無視するわけにはいかないよな、と思います。 幽霊そのものを恐れないんじゃなくて、「幽霊を書くことを恐れない」。どちらの方が勇敢なのか、まだわかりませんが、とにかく僕はそう決めました。(こうのいけ・るい=小説家)★たかの・かずあき=脚本家・小説家。映画監督・岡本喜八氏に師事。著書に『13階段』(江戸川乱歩賞)『ジェノサイド』(山田風太郎賞、日本推理作家協会賞)など。一九六四年生。