母の執着と支配欲、逃げる選択肢のない娘 インベカヲリ★ / 写真家・ノンフィクションライター 週刊読書人2023年2月24日号 母という呪縛 娘という牢獄 著 者:齊藤彩 出版社:講談社 ISBN13:978-4-06-530679-6 「見えない虐待」や「教育虐待」といった言葉を聞くようになって久しいが、そうした家庭に生まれた子どもはどのように育つのか。親を殺したいほど憎む気持ちが他者へ転移し、無差別殺傷に向かうケースもあるが、彼女の場合は当事者である母へと真っすぐに殺意を向けた。 事件は二〇一八年、滋賀県の能洲川河川敷で、頭部と手足を切り落とされた人間の胴体が発見されたことから始まる。逮捕されたのは、近所に住む髙崎あかり(仮名、当時三十一歳)で、殺されたのは一緒に暮らす母親だった。本書は、この母娘が過ごした年月を再現していくノンフィクションである。 際立った点は、あかりが医学部を目指して九浪していたことだろう。母親は生んだときから「娘を医者にする」と決めており、あかりはその期待に応えようと努力した。五歳頃から英会話教室に通い、部屋には買い与えられた参考書が積み上げられていた。小学校の学力テストでは、一〇〇点満点中、九〇点が最低ラインで、それ以下なら容赦なく叱責される日々。作文コンクールで賞を取ることもあったが、実際は母親が代筆していた。偏差値が低いと、母の指示に従って四つん這いになり、鉄パイプで痣ができるほど叩かれていたという。このあたり、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大元死刑囚の母とも非常によく似ている。 悲惨なのは、そうした関係性の中でも、母が娘を溺愛していたということだ。あかりは高校卒業後、母から逃げるために寮付きのエアコン製造工場へ就職面接へ行っているが、戻ってきた娘に母は「良かったあ、もう、お母さん、あかちゃんが帰ってこないんじゃないかと思って心配で不安でおかしくなりそうだったんだから」と言って抱きしめている。結果的に就職は母によって阻害されたわけだが、このときの母の言葉が凄い。「あかちゃんは、お母さんと約束した通り、来年医学科に合格するの。(中略)あかちゃんがいくら逃げても、お母さんはどこまでも追いかける。絶対に逃がさない。合格するまで、ずっと」。また、二〇歳を超えて家出をした際には、私立探偵を雇って尾行をつけ、家に連れ戻されている。本書では、要所要所で母娘のLINEのやりとりが生々しく再現されているが、娘に対する母の執着と支配欲は異常という他ない。 残念なのは、父親側の語りが書かれていないことだ。両親は離婚こそしていないが、父は仕事を理由にさっさと別居して家庭から逃げており、あかりと二人きりになってもほとんど会話はなかったという。母だけでなく父の病理もあるはずだが、そこには一切触れられていない。また、母自身がなぜモンスターと化したのかという背景についても言及はない。あくまで著者は、あかりの側の主張をまとめることに徹しており、客観的な視点で深堀りしようとしているわけではないようだ。つまり、ルポルタージュではなく、あかりの手記といえる内容である。もっとも、そこが著者の狙いだったのかもしれない。近年の毒親ブームに則って、母子密着と教育虐待を一点集中的に描くことにより、おかしな親を持つ子の問題に一石を投じる作品にはなっている。 あかりに、逃げる選択肢はなかった。公判でも「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」と述べており、母を殺害したことに後悔は感じられない。〝殺すことでしか前に進めなかった〟という意味では、「安部元首相銃撃事件」の山上徹也容疑者の心理にも通ずるだろう。親子で起きる問題は、誰にも助けてもらえない。その現実を、本書は容赦なく突き付ける。(いんべ・かをり=写真家・ノンフィクションライター)★さいとう・あや=ノンフィクション作家。北海道大学理学部地球惑星科学科卒業後、共同通信社入社。新潟支局を経て、大阪支社編集局社会部で司法担当記者。二〇二一年末退職。本書がはじめての著作となる。一九九五年生。