ディストピア・ウーマンフッド・他者 白石純太郎 / 文芸評論家 週刊読書人2023年2月24日号 文学は予言する 著 者:鴻巣友季子 出版社:新潮社 ISBN13:978-4-10-603893-8 「時代精神」という言葉があるが、それはある時代の傾向とでもいった意味である。時代を切り取る精神を顕現させるものは昔から文学の役割であった。何よりも詩人・小説家はその時代の空気を削り出し、作品としてきた。そして時代への読みの鋭さは、往々にして時代を超越するに至る。 時代への鋭敏な嗅覚を持ち合わせた作家は、これから到来するであろうことの予兆を時代精神の中から感じ取り、小説とする。そのような小説はほとんどSFや未来小説とジャンル分けされるが、著者はそれらを「今ここにあるもの、ありながらよく見えていないもの」をよく見えるようにした「現代小説である」と位置付けることで文学のアクチュアリティーの本質をつく。 アトウッドやクッツェーなどの翻訳を数多く手がけてきた著者が本書であげた三つのテーマ、ディストピア・ウーマンフッド・他者は、実はそれぞれ「翻訳」というタームで結びつけることができるのではないだろうか(著者はそのようなことをしていないが)。ここでいう「翻訳」とは、単に言語間のものを指すのではない。例えばドイツ語で「翻訳する」ことを指す動詞"übersetzen"は、流れの向こうへものを置くという語感から「ある場所から別の場所へ移動させること」や「ある形式から別の形式へ変形させること」を意味している。ディストピア小説において、そのような意味を含有させた「翻訳」とは、「現代という時代の翻訳」とでも呼べるものであろう。現代に巣食う病巣を批評的に取り上げることで、文学はこれからの社会を解き明かす「予言」となる。 と同時に「翻訳」とは、語られなかった言葉を拾い上げ、その声を聞くことでもある。長い間、文学は「男性の言葉」で書かれていた。女性はもっぱら声を奪用され、創造的・知的リソースを搾取されてきた。そこで著者は男性社会という規範から逸脱していく「シスターフッド」の想像力と連帯を称揚する。そこで挙げられる小説がアイルランド生まれの小説家、メアリ・デイヴィスの『札付きの放蕩者』である。この作品に出てくる女性たちは簡単に泣き寝入りしたり、凌辱された挙句に死んだりすることなく、威厳を持ち正々堂々と論駁し、女性同士の連帯やネットワークによって闘う。シスターフッドの言葉は、男性の言葉を「翻訳」し新たな人間の在り方を問うのだ。 そして言葉というものは常に「他者」へ向かって発せられると同時に「他者」によって語られる。言葉の中で私たちは常に「他者」とともにある。また母語以外の言葉はそれ自体が「他者」であろう。そのような「他者」たちの間で創作活動を続ける文学者に著者は多和田葉子を挙げている。他言語の間を遊歩し国や民族言語の壁を超える越境者である彼女は「創造的な活動は、まず解釈不可能な世界に耳を傾けるところから始まる」と発言している。著者はここで、答えのわからない状況に耐える力である「ネガティヴ・ケイパビリティ」の表れを多和田の作品に見る。「他者」である非母語の中にとどまり、その言語を「翻訳」していくという営為こそ、言葉によって表現をする作家の真骨頂であろう。 本書にはカズオ・イシグロ、アマンダ・ゴーマン、奥泉光などさまざまな文学作品が紹介されている。また「物語というものの恐ろしさ」や、現代における詩の重要性などという重要な観点も提示されるのだが、この書評だけでは語り尽くせない。本稿では著者も本書で触れていたベンヤミン由来の「翻訳」というタームを用いてそれらを半ば強引に結びつけた。そのような欲求に駆られる本書は、文学の最前線にいる一流の翻訳者の手による文学の指南書であり、散りばめられた作品からさまざまな思索を始めることの出来る有用な一冊である。(しらいし・じゅんたろう=文芸評論家)★こうのす・ゆきこ=翻訳家・文芸評論家。訳書にJ・M・クッツェー『恥辱』、M・アトウッド『誓願』、A・ゴーマン『わたしたちの登る丘』など。著書に『明治大正翻訳ワンダーランド』『謎とき『風と共に去りぬ』』『翻訳、一期一会』など。一九六三年生。