非西洋世界が担った役割をも視座に入れる 今井慧仁 / 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程・経済学 週刊読書人2023年2月24日号 綿の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか 著 者:スヴェン・ベッカート 出版社:紀伊國屋書店 ISBN13:978-4-314-01195-2 本書は、資本主義の発展を綿業という切り口から描いた非常に野心的な作品である。著者はハーヴァード大学教授であるスヴェン・ベッカート氏で、一九世紀アメリカ史を専門としている。原著は二〇一四年に刊行されており、訳者あとがきによれば、バンクロフト賞やフィリップ・タフト賞を受賞、ニューヨーク・タイムズ紙が選ぶ二〇一五年の最重要書一〇冊にも選出されるなど、その評価の高さがうかがわれる。事実、一読して感じたのは、今までありそうでなかった本であるという驚きであった。たしかに近年、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』といったロングヒストリーを扱う著作が増えてきているものの、そこで扱われる時間幅が極端に長いこともあり、とりわけ資本主義がそれ以前の世界をどのように編み変えたのかという視点が概して希薄であるという印象を評者は抱いてきた。他方で、今回取り上げる本書は、この側面を綿という視座から非常に明晰かつ大胆に描くことに成功している。たしかに、イギリスをはじめとする先進資本主義諸国の発展に際し、綿業が果たした役割の大きさはよく知られているが、それ自体にテーマを絞って資本主義を描いた著作はあまり前例がなく、本書は後発の研究にも多大な示唆を与えるだろう。 本書の冒頭で著者は、資本主義の発展過程において綿以上に大きな役割をはたした商品はないとし、綿花の生産から綿製品の製造、販売へと至るグローバル・ネットワークによって構築された〈綿の帝国〉をその主題に据える。とはいえ、綿業はなにも近代固有の産業ではなく、欧米列強がその生産を独占するまでは他の地域で発展してきた。有史以来はじめて綿を紡いだのはインダス川流域の農民であり、それは今から約五〇〇〇年前のことであるが、その後も綿業は中南米やアフリカ、中国で開花していく。これらの地域では、基本的に独力でゆるやかに綿業が発展し、その影響力はあくまで局地的なものに留まった。この分散したネットワークを暴力的に束ねあげ、巨大な〈綿の帝国〉を築き上げた運動こそ資本主義であり、著者はこの現象が生じた一六世紀を資本主義の始点に据えて〈綿の帝国〉史を描き出す。 従来、資本主義の起源をめぐっては一八〇〇年説と一五〇〇年説の二つの説が有力であった。大まかには、前者がイギリス産業革命を資本主義と重ね合わせるのに対し、後者は大航海時代をその起点とみなす。とくに後者は、ウォーラーステインを筆頭とする世界システム論者が主張してきたもので、産業革命に先行する貿易差額主義に基づいた重商主義段階を重視する特徴がある。その意味で、本書は後者の流れをくむものではあるが、従来の世界システム論が欧米列強内部の覇権交替をテーマとし、その記述が概して西洋中心になりがちであったのに対し、本書は、資本主義の発展において非西洋世界が担った役割に対する視座を忘れていない。 事実、一六世紀の初期資本主義は戦争資本主義と名づけられ、非西洋世界が負わされた苦難がそこで語られているが、この戦争資本主義とは、コロンブスによる新大陸発見を契機とし、西洋の軍事力を背景とした先住民の土地の略奪、およびアフリカから連行された奴隷による強制的な綿花プランテーション経営のことを指す。また、奴隷貿易ではインドの織布が奴隷への対価として支払われたため、ここに、アジア、アフリカ、新大陸という局地的ネットワークが統合されることになった。もちろん、これにはヨーロッパ商人が関与しているが、同時に国家による武力がそれを後押しした事実を著者は繰り返す。資本家と国家が結託することで、戦争資本主義は各大陸の局地的な綿業ネットワークを強引に結び付け、〈綿の帝国〉の礎をつくったのである。 しかし、戦争資本主義だけでは〈綿の帝国〉は完成しない。イギリスは一八世紀中葉まで奴隷貿易に必要な綿布をインドから購入していたが、徐々に自国内でも生産ができる設備を整えていく。これがいわゆる産業革命だ。戦争資本主義における奴隷制とは異なり、産業資本主義の基盤をなすのは賃金労働であり、イギリス国内の紡績工場と製織工場によって安価な綿織物が大量に生み出されることで、インドをはじめとする既存の綿織物業は駆逐されることとなった。産業資本主義の形成に際しても国家の存在は大きい。戦争資本主義が土地と労働力を野放図に搾取したのに対し、産業資本主義は、国家が民間の創意工夫を活かしつつ、行政やインフラ、法を計画的に整備することで構築された。〈綿の帝国〉とは事実上、戦争資本主義と産業資本主義という二つの労働形態の協力を抜きには語れず、奴隷制綿花プランテーションと賃金労働制綿工場とが手を携え、グローバル・ネットワークを暴力的に統合することで完成したと言える。 しかし、のちに産業資本主義国内部で力をつけた労働者が組合活動を展開すると、状況は変わっていく。安価な労働力を欲する資本家は、その目を次第にグローバル・サウスに向けるようになり、アジア、アフリカ、中南米といった綿業の発祥地へとその生産拠点は回帰することになったのだ。なんとも皮肉な話である。もちろんこのような事例は、グローバル・ネットワークが構築された今日、綿業に限った話ではなくなりつつある。アメリカや日本の産業の空洞化もまた、自動車産業にかかる生産コスト削減のため、大企業が東・東南アジアへ進出したことが原因で生じた。とはいえ、このような事例の先駆けこそ綿業なのであり、〈綿の帝国〉が築き上げたネットワーク上を、今日は様々な商品が縦横無尽に往来し、時にその生産拠点も移動しているのである。 著者は終章で、資本主義の本質を暴力と強制のうちに見いだす。都市ではなく、地方の田園地帯が資本主義の中核を担うことがあるように、資本主義の本質もまた、自由市場においてではなく、暴力と強制のうちにこそ潜んでいるのだ。しかし同時に、資本主義には光の側面もある。それは、生産性を底上げし、この世界を永続的に変革し続ける力である。綿業の生産を剥奪されたグローバル・サウスに再びその生産拠点が回帰したように、資本主義には暴力的ではあるが世界を変革する力がある。それは必ずしもいい方向に向かうとは限らないが、常に悪い方向に向かうと断言することも著者は控えている。全ての人の必要に応えられる公正な帝国を築く力が資本主義自体に潜在している可能性もあるからだ。 今日、製造業の生産拠点は益々アジアに移り、欧米諸国のGDPとその他の地域のGDPの合計値は拮抗している。綿織物が編まれるように、今後の世界もまたどのように編まれていくのか。本書は、そのような未来の資本主義の動向を見据える上での重要な視座を我々に提供してくれている。(鬼澤忍・佐藤絵里訳)(いまい・あきひと=京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程・経済学) ★スヴェン・ベッカート=ハーヴァード大学教授・一九世紀アメリカ史・資本主義経済史・社会史。一九九五年にコロンビア大学にて博士号(歴史学)を取得。