人間と人間以外の生物の関係を捉え直す 太田悠介 / 神戸市外国語大学准教授・フランス思想・思想史 週刊読書人2023年3月3日号 メタモルフォーゼの哲学 著 者:エマヌエーレ・コッチャ 出版社:勁草書房 ISBN13:978-4-326-15484-5 本書の著者エマヌエーレ・コッチャは農業学校に学んだ後、中世哲学を専門とする研究者となった異色の経歴を持つ。モナコ哲学祭賞を受賞した前書『植物の生の哲学』からも窺えるように、近年の著者は植物、昆虫、動物といった人間以外の生物を主題としている。『メタモルフォーゼの哲学』もまた、こうした近年の思索の成果である。 本書のタイトルにある「メタモルフォーゼ」の語は、一般的に人間や生物、あるいは街などの外形や内実が完全に変わることを意味する。日本語では「変身」や「変貌」と訳され、特に生物学の分野では蛹から蝶への変化といった「変態」を指す。本書のメタモルフォーゼの概念は、日本語でこのような複数の意味に訳し分けられる事柄すべてを含む。この概念を通じて著者が考察するのは、姿かたちを変えるもの、また移り変わるものとしての「生」であるだろう。以下では、本書に登場する昆虫と食というふたつのテーマに絞り、評者の解釈を交えつつ紹介したい。 本書ではメタモルフォーゼの例として、人間と昆虫の生が比較される。人間は生涯を柔らかな皮膚に覆われて過ごすが、著者によればこのことが時に錯覚を生むという。人間は皮膚を伸び縮みさせながら、成長や老化によってシルエットや大きさが変わる。そこから人間の一生には、ただひとつの形態しかないかのように感じるという錯覚である。柔軟な皮膚が可能とする外形の相対的な変化の乏しさは、人間が生涯、同じ人格を有するという私たちの「同一性(アイデンティティ)」の感覚にも影響を及ぼしているはずである。 では、私たち人間が自動車のモノコックボディや鋼鉄製の甲冑に似た何かに覆われていて、しかもそれに寄りかかることができるなどと想像し始めるとどうだろうか。実は、それこそが昆虫の生の一側面である。外見の変化の大きい蝶を例にとれば、「消化のための巨大な管」であるイモムシから蛹へ、蛹からさらに「性行為のための飛翔機構」である蝶へと、生の形態もその都度、変貌する。人間と昆虫の比較という思考実験から浮かび上がるのは、生の形態とは生きているその瞬間毎に生物が作り上げ、また同時に解体し続けるものということだ。著者は人間の個人の同一性の裏側に、生の絶えざるメタモルフォーゼを見通すのである。 人間と昆虫の比較が、個体における生の変容という主としてミクロな視点からなされるのに対して、食のテーマはマクロな視点での生のメタモルフォーゼに対応するだろう。あらゆる人間に共通するのは、誕生し、またいつか死を迎えることである。そして、誕生と死に区切られた時間の有限性と経験の固有性が、各人の同一性を保証する。人が亡くなると、西洋世界であれば亡骸を棺に納めて埋葬し、その名を墓標に刻む。埋葬は人間の文化の指標ですらある。 だが、本書がそうした常識を逆撫でするかのように主張するのは、人間の死骸が微生物によって分解されるように、人間もまた他の生物の食べ物となりうるということである。あらゆる生物は他の生物の糧となるかぎりで互恵的であり、また平等なのである。リンゴからヒトへ、ヒトからミミズへ、ミミズからハトへという食物連鎖の巨視的な視点に立つ著者が見つめるのは、あらゆる個体の死が他の生物の糧となることで、それまでとは異なる相貌の下での生として持続してゆく過程である。ここからは、「多種(マルチスピーシーズ)」の生物を横断する、食を介した生のメタモルフォーゼの大きなつながりが浮かび上がる。 ミクロとマクロいずれの視点でも、あらゆる生物の身体がメタモルフォーゼという流れに貫かれているのなら、生そのものが「移住」となるという。一部の人間だけが移民となるのではないし、移住は地理的な場所の移動だけを指すのでもない。人間は人間以外の生物と刻々と移り変わる生のメタモルフォーゼを共にし、漂流する存在となる。 本書が姿かたちを変え、移りゆく多様な生の現れに焦点を当てる以上、その解釈は読者に広く開かれている。それを踏まえたうえで、本書の魅力をひとつ指摘するなら、それはメタモルフォーゼという概念を通じて、私たちに人間と人間以外の生物との関係を捉え直すことを誘なう点にある。人類は人類以外の種に対して優位にあるのではない。むしろ人類を含む「多種」の生き物たちの生は等価であるという視座である。人間中心主義を脱した、生きとし生けるものすべての共同性という本書が拓く地平は、哲学的な考察としての意義をもちつつ、気候変動や生物多様性の喪失といった人間と環世界をめぐる現代の差し迫った課題を考えるにあたっても、多くの示唆を与えてくれる。(松葉類・宇佐美達朗訳)(おおた・ゆうすけ=神戸市外国語大学准教授・フランス思想・思想史)★エマヌエーレ・コッチャ=フランスの社会科学高等研究院(EHESS)准教授・中世哲学。邦訳書に『植物の生の哲学』(二〇一七年モナコ哲学祭賞受賞)など。一九七六年、イタリア生まれ。