不当な忘却に抗し、なおもわれわれを「待っている」書物 小林成彬 / 一橋大学大学院博士課程・フランス文学 週刊読書人2023年3月10日号 極限の思想 サルトル 全世界を獲得するために 著 者:熊野純彦 出版社:講談社 ISBN13:978-4-06-530230-9 サルトル『存在と無』は不当に忘却された書物である。サルトルがそこで展開した哲学そして夢は、「われわれ」を待っている。その認識が熊野純彦『サルトル 全世界を獲得するために』の基調となる。 本書は序章をその内に数えて四章から成り立つ。「存在/無」、「対自存在」、「他者」、「所有」の四つの主題がそれぞれの章で展開されている。順を追って見ていく。 序章ではパルメニデスからハイデガーにいたる豊かな哲学史的背景をもとにサルトルの「存在」理解が解き明かされる。サルトルがハイデガーの問いを反転させて「存在への問いの可能性が無への可能性へと読み替えられてゆく」(三五-三六頁)ことの次第を丁寧に跡づけたのちに、サルトルの独創はむしろ「概念的な把握を終えた後に、具体的な場面へと降り立つ仕方にあるかもしれない」(四〇頁)と叙述をすすめていく、その華麗な筆さばきには舌を巻く。第一章で注目されるのは、廣松渉のサルトル批判をとりあげていることだろう。だが、そこで強調されるのは両者の共通点である。廣松渉の高弟にして、師についての著作を草したこともある著者はかつて廣松理論哲学の原基に「自己差異化」を認めていたが、著者がサルトル哲学の根幹にある「対自存在」について次のように指摘するのは興味深い。「対自である意識のうちには自己差異化がはらまれている」(九九頁)。 第二章で扱われるのは「他者」の問題である。サルトルと熊野純彦氏との緊迫した対話はここからはじまる。他者関係を「相克」として捉えるサルトルとは哲学的立場を異にするからだ。サルトルは他者関係を「所有」の語彙を用いて記述する。私は他者から眼差される。他者は私の存在の秘密を握っており、「私は他者に所有される」のである。ここに「主観-われわれ」の成立する余地はない。どうすればいいのか。 第三章では、前章で議論の焦点となった「所有」を別の角度から把握しなおす。本書の白眉である。なるほどたしかに他者関係や視覚を「所有」としてあらわすことはいささか過度に暴力的な側面もあるかもしれない。しかし「所有」が拡張されたイメージで捉え直されるとき、通常の意味での「所有」観念はまた相対化もされていく。著者はサルトルの雪原を滑走する描写をとりあげる。雪面を滑りおちることで、雪と特別な領有関係を私は結ぶ。しかしそれは侵犯的なものではない。「滑走の理想は痕跡を残さない」ものであるからである。このようなかたちの世界の享受はじつのところ若きマルクスの所有論と共振するところがあるのではないか、と著者は考える。私的所有を逃れていく「所有」の夢が『存在と無』には書きとめられていたのだ。 副題について補足的に述べておく。「全世界を獲得するために」という本書の副題はサルトルの『戦中日記』から取られたものであるとのことだが、熊野氏は、かつて、ある大著にて「哲学は獲得すべきひとつの世界を所有している」と述べていたことを野暮ながら指摘しておく。『共産党宣言』を淵源とし、すでに日本語としても多くの歴史的文脈を有しているといわざるをえない。この副題を理解し終えたとき、本書のもつ歴史意識と批評意識が明らかになるはずだ。 日本語で書かれた『存在と無』の入門書として、私たちはすでに竹内芳郎『サルトル哲学序説』(一九五六年)という名著を知っている。本書はそれと双璧をなすものであると筆者は考える。前者は〈戦争体験〉を思想的原点とし、日本的精神風土と戦後民主主義を同時に超克するための武器としてサルトルを読むという若き情熱によって書かれた『サルトル哲学序説』は、いまなおサルトルのもつ爆発力を私たちに教えてくれる。それに対して本書は〈六八年〉を思想的原点としている。時代の若さに強烈に訴えたサルトルの言説と「夢」は〈六八年〉の前史をかたちづくる。だが〈六八年〉はこのようでしかありえなかったのだろうか。そこに孕まれた「夢」は現に存在することだけを必然的な帰結とするものだったのか。そこにはいまだあらわれない「前向きの薄明」(ブロッホ)のごときものがなかっただろうか。熊野純彦氏の批評意識はそこにある。そこから導き出されるのがサルトルという夢のありかを仔細に辿ることであり、サルトルが「われわれ」を待っているという事態なのである。 熊野純彦氏は、最初期の著作『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(一九九九年)で〈六八年〉を「悲しみとともに傍観した」哲学者としてレヴィナスを描きだした。本書はそこから粘り強く続く批評の一つである。 時代にコミットメントした「同時代人」サルトルへの評価は私には不公平に思われるところもあるけれども、その批評の試みには心から共感する。(こばやし・なりあき=一橋大学大学院博士課程・フランス文学)★くまの・すみひこ=東京大学大学院人文社会系研究科教授・哲学・倫理学・哲学史。著書に『レヴィナス』『差異と隔たり』『西洋哲学史』『マルクス 資本論の思考』『本居宣長』、訳書にカント『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』、ハイデガー『存在と時間』、ヘーゲル『精神現象学』など。一九五八年生。